サッカーの話をしよう
No.1 ファンのマナーが国際試合を盛り上げる
ワールドカップのアジア1次予選で、日本代表がこれ以上のないスタートを切った。初戦のタイ戦では緊張のせいかチグハグなプレーが目立ったが、以後は試合を追うごとに安定し、アジアの王者らしい堂々とした勝ちっぷりだった。
チームの快進撃とともに成長したのがスタンドのファンだった。応援ぶりのことではない。試合前のセレモニー、国歌吹奏のときのマナーが、このシリーズを通じて大きく改善されたのだ。代表チームや応援ぶりに負けず、この面でも日本のサッカーは急速に世界に追いついてきた。
3月のキリンカップや今回のワールドカップ予選の神戸での初戦では、相手チームの国歌吹奏のときに日の丸や応援旗を振り、応援歌を歌っている人が多かった。また、座席に座ったままの人、移動している人など、国歌吹奏などお構いなしだった。
競技場のスピーカーの能力が低く、大騒ぎしているファンの耳にまったく届かないことも原因だったが、それ以上に日本のファンがこうした「公式国際試合」の経験がほとんどなく、そのマナーを知らなかったことが問題だった。
現代の日本では、国歌や国旗は非常に微妙な状況にあり、多くの人がこれに触れようとせず、遠ざけているように見える。
しかし国歌や国旗に対して、世界中が日本人と同じ感情をもっているわけではない。それどころか、多くの国で、国歌、国旗は大きな敬意を払われている。自国のものに敬意を払えば、当然、他国のものにも同じようにする。それが国際的なマナーだ。
1978年のアルゼンチン・ワールドカップはその点で非常に印象が強い。8万の観衆でいっぱいになったスタジアム。アルゼンチンの人びとは相手国の国歌吹奏が始まるとピタリと動きを止め、手に持った自国の旗を下ろし、水を打ったように静かになった。吹奏が終わると、「万雷の」という言葉がふさわしい、盛大な拍手を送った。
86年メキシコ・ワールドカップでは、感動的なシーンに遭遇した。
地元メキシコの初戦、ブルガリア戦のことだった。ワールドカップでは国歌吹奏は生のバンドが原則だが、この大会は開催を返上したコロンビアの代替開催だったため準備が整わず、録音テープが使用された。
まずブルガリアの国歌が終了。しかしどうしたことか、メキシコ国歌が始まらない。1分、2分と経過するが、機械の故障か、いっこうに始まる気配がない。この不手際に、観衆からは大きな口笛が吹かれる。ついに主審が解散を指示、両チームの選手ははじかれたようにフィールドに散る。
どこからともなく合唱が始まったのはそのときだった。それはあっという間にスタンド全面に広がり、10万人の大合唱になった。もちろん、メキシコ国歌だった。散りかけていたメキシコの選手たちはこれを聞いてすぐフィールドの中央に整列し、胸に手を当てて観衆の大合唱に加わった。
このちょっとした事件はメキシコの選手たちの闘志に火をつけた。「ベルギー有利」の前評判を覆し、メキシコはすばらしいプレーで勝利を収めたのだ。
今回のワールドカップ予選、国歌吹奏のときの観客のマナーは試合を追うごとに良くなった。4月18日の対UAE戦では、ほぼ全員が起立し、動いている人もほとんどいなかった。
マナーにのっとったセレモニーは、「国際試合」の雰囲気をさらに盛り上げてくれる。それは、日本代表選手たちの集中力を高め、勝利に対する意欲をさらにかきたてたに違いない。
(1993年4月20日=火)
チームの快進撃とともに成長したのがスタンドのファンだった。応援ぶりのことではない。試合前のセレモニー、国歌吹奏のときのマナーが、このシリーズを通じて大きく改善されたのだ。代表チームや応援ぶりに負けず、この面でも日本のサッカーは急速に世界に追いついてきた。
3月のキリンカップや今回のワールドカップ予選の神戸での初戦では、相手チームの国歌吹奏のときに日の丸や応援旗を振り、応援歌を歌っている人が多かった。また、座席に座ったままの人、移動している人など、国歌吹奏などお構いなしだった。
競技場のスピーカーの能力が低く、大騒ぎしているファンの耳にまったく届かないことも原因だったが、それ以上に日本のファンがこうした「公式国際試合」の経験がほとんどなく、そのマナーを知らなかったことが問題だった。
現代の日本では、国歌や国旗は非常に微妙な状況にあり、多くの人がこれに触れようとせず、遠ざけているように見える。
しかし国歌や国旗に対して、世界中が日本人と同じ感情をもっているわけではない。それどころか、多くの国で、国歌、国旗は大きな敬意を払われている。自国のものに敬意を払えば、当然、他国のものにも同じようにする。それが国際的なマナーだ。
1978年のアルゼンチン・ワールドカップはその点で非常に印象が強い。8万の観衆でいっぱいになったスタジアム。アルゼンチンの人びとは相手国の国歌吹奏が始まるとピタリと動きを止め、手に持った自国の旗を下ろし、水を打ったように静かになった。吹奏が終わると、「万雷の」という言葉がふさわしい、盛大な拍手を送った。
86年メキシコ・ワールドカップでは、感動的なシーンに遭遇した。
地元メキシコの初戦、ブルガリア戦のことだった。ワールドカップでは国歌吹奏は生のバンドが原則だが、この大会は開催を返上したコロンビアの代替開催だったため準備が整わず、録音テープが使用された。
まずブルガリアの国歌が終了。しかしどうしたことか、メキシコ国歌が始まらない。1分、2分と経過するが、機械の故障か、いっこうに始まる気配がない。この不手際に、観衆からは大きな口笛が吹かれる。ついに主審が解散を指示、両チームの選手ははじかれたようにフィールドに散る。
どこからともなく合唱が始まったのはそのときだった。それはあっという間にスタンド全面に広がり、10万人の大合唱になった。もちろん、メキシコ国歌だった。散りかけていたメキシコの選手たちはこれを聞いてすぐフィールドの中央に整列し、胸に手を当てて観衆の大合唱に加わった。
このちょっとした事件はメキシコの選手たちの闘志に火をつけた。「ベルギー有利」の前評判を覆し、メキシコはすばらしいプレーで勝利を収めたのだ。
今回のワールドカップ予選、国歌吹奏のときの観客のマナーは試合を追うごとに良くなった。4月18日の対UAE戦では、ほぼ全員が起立し、動いている人もほとんどいなかった。
マナーにのっとったセレモニーは、「国際試合」の雰囲気をさらに盛り上げてくれる。それは、日本代表選手たちの集中力を高め、勝利に対する意欲をさらにかきたてたに違いない。
(1993年4月20日=火)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。