サッカーの話をしよう

No.28 吉田光範 いつもいるべき場所にいた

 「あの日」から2週間近くたち、Jリーグの第2ステージも再開されたが、カタールの話題はまだ続く。今回は日本チームの「表彰式ボイコット事件」について書こうと思っていた。というのは、現在支配的になっている日本選手団非難の方向とは、違う意見を私はもっているからだ。
 しかし必要な話を聞こうと考えていたアジア・サッカー連盟事務総長が国際サッカー連盟とともに旧ソ連のアジア地区の新独立国の視察に回っているため、このテーマは次週に回すことにした。そこで今回は、日本代表の背番号15、MFの吉田光範(ジュビロ磐田)をとりあげたい。

 吉田は、人気者になった中山とともに今回の日本代表ではJリーグ以外のチームからの参加。愛知県の刈谷工業高校を出てヤマハにはいり、ことし13年目、31歳のベテランだ。若いころは特異な感覚をもったFWとして活躍、4年前のイタリア・ワールドカップ予選ではエースストライカーだった。その後代表をはずれたが、92年春にハンス・オフト監督の就任とともに呼び戻された。
 選出の理由は、「左サイドの強化」だった。オフトの見るところ、日本は攻撃がどうしても右サイドにかたよる。左右のバランスをとるためには、左利き、あるいは左足で正確なキックのできる選手が必要だ。そこで選ばれたのが、左バックの都並と、ヤマハ(ジュビロ)で左利きのMFとしてプレーしていた吉田のふたりだった。

 だが、日本代表に選ばれてみると、吉田の価値に対する認識は試合ごとに新たになった。とくにことし4月のワールドカップ1次予選では、負傷の北澤が欠けた右サイドのMFとしてすばらしいプレーを見せた。攻から守、守から攻への切り替えの早さは、オフトの求めるMFの条件に、誰よりもかなっていた。
 最終予選前、うれしい情報を聞いた。長い間彼を苦しめていた左ヒザを負傷から完全に回復し、吉田は絶好調であるというのだ。
 そのとおり、カタールでの吉田はすばらしかった。

 第2戦を終わったところで最下位とピンチに立った日本は、第3戦に長谷川を入れてFWを3人にする思い切った戦法に出たが、バランスを保ったのは吉田の新しいポジションだった。それまで森保ひとりだった守備的MFを、左に森保、右に吉田と置いて2枚にしたのだ。これによって守備が安定し、ラモスが攻撃のサポートに専念することができた。
 森保が欠場した韓国戦、日本は特定の守備的MFなしで戦った。それを可能にしたのは、吉田の戦術的能力の高さだった。
 吉田は主として左サイドをうけもち、体を張って韓国のドリブルを止め、的確なタイミングで味方のサポートにはいった。ラモスからパスを受けて左サイドを駆け抜け、カズの決勝ゴールにアシストしたのは吉田だった。

 信じ難いことだが、カタールでの吉田は、試合を追うごとに、そして同じ試合でも時間がたつにつれ成長しているように見えた。アジアの強豪を相手にした死闘のなかで、彼は「何か」をつかんだようだった。
 この韓国戦、日本チームは90間一体となり、日本サッカー史上最高レベルの試合を見せたが、それを可能にしたのは、攻と守をつないだ吉田のプレーだった。それゆえに、私はカタールでの日本の「MVP」は吉田だと思っている。
 日本がボールをもったときにも韓国がボールをもったときにも、彼は常に正しいポジションにいた。吉田はいつも「いるべき時に、いるべき場所に」いた。

(1993年11月9日=火)
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