サッカーの話をしよう

No.29 教師オフトはまだまだ必要だ

 日本代表のハンス・オフト監督が辞任した。日ごろの彼の言動から、予期されたことではあったが、残念といわざるをえない。
 わずか1年半の間にオフトが成し遂げたことは、日本サッカーの歴史に大きく刻まれなければならない。92年のダイナスティカップ、アジアカップでの優勝は、日本サッカーが70数年を要して初めてつかんだ公式国際大会のタイトルだった。そして今回のワールドカップアジア最終予選での韓国に対する勝利。これが日本サッカーにとっていかに大きな歴史の転換点であったか、今後10年のうちに証明されるはずだ。

 今予選の前のひとつの不安は、オフトの「経験」のなさだった。彼は非常に優秀なコーチではあるが、代表チームを率いて大舞台で戦うのは、日本が初めてのこと。監督というのは修羅場をくぐってきた経験がものをいう職業だけに、大事なところで命取りになる危険性は無視できなかった。
 だが、大会が始まってみると、オフトは他国の百戦錬磨の監督たちに負けない手腕を見せた。プレッシャーから思い切ったプレーができず、2試合を終えて最下位になったときも、彼は冷静に状況を分析し、選手たちの能力を信じ、見事にチームを立て直した。
 イラン戦のあとの記者会見で、彼は笑顔やユーモアさえまじえながらていねいに質問に答えた。こうしたオフトの態度は、日本チームも選手たちに少なからぬ影響を与えたはずだ。
 最後のイラク戦では選手交代の失敗はあったが、これが今大会で唯一のミスらしいミスだった。

 だが、私がオフトの辞任を残念に思うのは、彼が優れた「指揮官」だったからではない。「コーチ」としてすばらしかったからだ。
 十年ほど前にオランダ人のウィール・クーバーというコーチが来日した。「クーバー・メソッド」と呼ばれる技術の練習法を指導するためだった。彼が強調したのは、「現在の世界にはいい監督は数多くいるが、いいコーチは少ない」ということだった。
 「監督」「コーチ」などと呼び方はさまざまだが、戦略を立て、チームをまとめあげて勝利に導くことのできる監督はいても、若い選手に技術や戦術を教えることのできるコーチはほとんど見当たらない。その結果、優れた技術を基礎としたサッカーが死に絶えそうだというのだ。
 ハンス・オフトはまさにすばらしいコーチだった。それは、都並の故障で穴のあいた左バックのポジションを埋める選手を探し出すのに苦労したことでも証明される。1年半かけて細かな戦術から教え込んだチームだったから、代わりの選手は簡単には見つからなかったのだ。

 オフトが欲するレベルに達した選手が10数人しかいなかったとすれば、現在の日本代表に必要とされる監督は、「優れた戦略家」ではなく、「優れたコーチ」であることは明瞭だ。そのレベルに達した選手が数多く出てきたとき、初めて戦略家の監督が働く環境ができるからだ。
 「負けたら責任をとる」のはプロでは当然のことだという。しかし日本はブラジルやイングランドではない。オフトのような優秀なコーチ、ある意味で最高の「教師」を失う余裕は、日本サッカーにはまだないのではないか。
 後任の監督が、オフト以上の戦略家であるばかりでなく、彼に負けない教師であることを祈りたい。
 そしてオフトが、なんらかの形で日本にとどまってくれることを期待したい。日本サッカーは、まだまだ「教師」オフトを必要としている。

(1993年11月16日)
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス

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