サッカーの話をしよう
No.62 光は見えた。しかし世界はまだ扉を探している
52試合で356万7415人。一試合平均6万9000人に近い大観衆を集めたワールドカップ・アメリカ大会。近年の大会につきものだったサポーターのトラブルもなく、非常に平和な大会だった。
4年前のイタリア大会は52試合で115ゴールしか生まれず、アクチュアルタイム(試合のなかで実際にプレーが動いている時間)も54分あまりしかなかった。すばらしい運営の大会だったが、肝心のサッカーがつまらなくては元も子もない。「もっと積極的なサッカー、点を取り合っておもしろいサッカー」を目指して行われた今大会はどうだったのか。
ゴール数は140(1試合平均2.7)、アクチュアルタイムは60分を超した。決勝戦こそ0−0からPK戦になったが、これを入れて無得点に終わった試合はわずか3。数字の上では、国際サッカー連盟(FIFA)の狙いは十分達成されたことになる。
世界のサッカーはまだ守備重視の方向から抜け出せず、守備の組織力はこの大会でもどの各チームもすばらしいものをもっていた。だが、今大会ではそれを突き破る攻撃技術、コンビネーションプレーにも見るべきものがたくさんあった。
守備を安定させるために「守備的MF」を2人置くチームが多かった分、サイドバックの攻撃参加がますます重要な意味をもってきた。いや「攻撃参加」という言葉はもう当たらない。ブラジルやルーマニアなどでは、サイドバックは両サイドからの攻め手としての「義務」を負っていた。
この面でブラジルはすばらしいタレントの宝庫だった。大会前の予定では右にジョルジーニョ、左にブランコ。しかしブランコの負傷で出たレオナルドは大会前半のスターとなる。そのレオナルドが出場停止になるとブランコが登場して大事な場面でFKを決める。決勝ではジョルジーニョが負傷。だが代わったカフーはこの試合でもっとも活発なアタッカーとなった。
いわゆる「点取り屋」の活躍が目立ったのも、大会総得点が増えた理由だった。得点王は過去四回の大会と同じ6ゴールだったが、それがふたり(サレンコとストイチコフ)、そして5得点が4人(K・アンデション、クリンスマン、ロマリオ、バッジオ)もいた。決めるべき人が決めるべきときに決めたことがそれぞれのチームの上位進出につながったことで、大会は盛り上がった。
しかし残念なことに、86年大会のマラドーナのような「スーパースター」と呼ぶことのできる選手も、74年大会のオランダ、82年大会のブラジルのような「スーパーチーム」も見当たらなかった。
バッジ、ロマリオはたしかにすばらしい才能をもった選手だった。しかしどのような問題をかかえていたにせよ、決勝戦という歴史に残る舞台でその才能を発揮できなかったところに、彼らの限界があった。
アルゼンチン対ルーマニア(決勝トーナメント1回戦)、ブラジル対オランダ(準々決勝)など、スリルに満ちたすばらしい試合もあった。だが、決勝戦が史上初めて無得点試合となったところに、この大会のサッカーが象徴されていた。
ワールドカップUSA94は、攻撃的でより楽しいサッカーへの光を見た大会だった。その光は、選手たちの技術の向上がもたらしたものだった。しかし本当に喜びに満ちあふれたゲームになるために、世界のサッカーはもっともっと技術の高い選手をもっともっと必要としている。
光は見えた。しかし世界のサッカーはまだ「扉」を探している。
(1994年7月19日=火)
4年前のイタリア大会は52試合で115ゴールしか生まれず、アクチュアルタイム(試合のなかで実際にプレーが動いている時間)も54分あまりしかなかった。すばらしい運営の大会だったが、肝心のサッカーがつまらなくては元も子もない。「もっと積極的なサッカー、点を取り合っておもしろいサッカー」を目指して行われた今大会はどうだったのか。
ゴール数は140(1試合平均2.7)、アクチュアルタイムは60分を超した。決勝戦こそ0−0からPK戦になったが、これを入れて無得点に終わった試合はわずか3。数字の上では、国際サッカー連盟(FIFA)の狙いは十分達成されたことになる。
世界のサッカーはまだ守備重視の方向から抜け出せず、守備の組織力はこの大会でもどの各チームもすばらしいものをもっていた。だが、今大会ではそれを突き破る攻撃技術、コンビネーションプレーにも見るべきものがたくさんあった。
守備を安定させるために「守備的MF」を2人置くチームが多かった分、サイドバックの攻撃参加がますます重要な意味をもってきた。いや「攻撃参加」という言葉はもう当たらない。ブラジルやルーマニアなどでは、サイドバックは両サイドからの攻め手としての「義務」を負っていた。
この面でブラジルはすばらしいタレントの宝庫だった。大会前の予定では右にジョルジーニョ、左にブランコ。しかしブランコの負傷で出たレオナルドは大会前半のスターとなる。そのレオナルドが出場停止になるとブランコが登場して大事な場面でFKを決める。決勝ではジョルジーニョが負傷。だが代わったカフーはこの試合でもっとも活発なアタッカーとなった。
いわゆる「点取り屋」の活躍が目立ったのも、大会総得点が増えた理由だった。得点王は過去四回の大会と同じ6ゴールだったが、それがふたり(サレンコとストイチコフ)、そして5得点が4人(K・アンデション、クリンスマン、ロマリオ、バッジオ)もいた。決めるべき人が決めるべきときに決めたことがそれぞれのチームの上位進出につながったことで、大会は盛り上がった。
しかし残念なことに、86年大会のマラドーナのような「スーパースター」と呼ぶことのできる選手も、74年大会のオランダ、82年大会のブラジルのような「スーパーチーム」も見当たらなかった。
バッジ、ロマリオはたしかにすばらしい才能をもった選手だった。しかしどのような問題をかかえていたにせよ、決勝戦という歴史に残る舞台でその才能を発揮できなかったところに、彼らの限界があった。
アルゼンチン対ルーマニア(決勝トーナメント1回戦)、ブラジル対オランダ(準々決勝)など、スリルに満ちたすばらしい試合もあった。だが、決勝戦が史上初めて無得点試合となったところに、この大会のサッカーが象徴されていた。
ワールドカップUSA94は、攻撃的でより楽しいサッカーへの光を見た大会だった。その光は、選手たちの技術の向上がもたらしたものだった。しかし本当に喜びに満ちあふれたゲームになるために、世界のサッカーはもっともっと技術の高い選手をもっともっと必要としている。
光は見えた。しかし世界のサッカーはまだ「扉」を探している。
(1994年7月19日=火)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。