サッカーの話をしよう
No.69 選手はプレーに専念を
○月×日、Jリーグの試合が中止になった。
原因はレフェリーのストライキだ。選手たちがあまりに判定に文句をつけ、監督たちも記者会見で公然と批判するため、「やってられない」と、Jリーグの試合の審判を全員ボイコットしてしまったのだ。
クラブもリーグも困り果てているが、レフェリーたちは全員アマチュアだから生活にはまったく影響がない。少年サッカーの審判を務めるなど、みんなけっこう楽しくやっている...。
もちろんつくり話だ。しかし笑い話ではない。はっきり言って現在のJリーグ選手たちのレフェリーに対する態度はそれほどひどい。この種の行為がほとんどといっていいほどなかったワールドカップと比較すると、そのひどさがはっきりする。
「おもしろい試合にするにはクリーンでなければならない」と、川淵三郎チェアマンは日本リーグ時代からフェアプレーの徹底を呼びかけてきた。しかし昨年はイエローカードが乱舞しただけでなく、レフェリーとのトラブルが続出し、不愉快な試合が多かった。
その反省から、今シーズンはさらに徹底してフェアプレー、とくにレフェリーに文句をいわないことを呼びかけてスタートした。そして開幕当初にはだいぶ減ったように見えた。だがここにきてまた判定に文句をいう選手が多くなった。
こうした醜い行為がなくならないのは、クラブ側にも問題がある。レフェリーに文句をつけて警告を受けた選手には、年俸の何%かを罰金とするなどの対処をしなければならない。クラブが強い態度で「撲滅」に臨まなければ、いつまでたっても同じことだ。
レフェリーに対する文句と同じように、いや、それ以上に最近「醜い」と感じさせるのは、ファウルを受けた選手がレフェリーにカードを要求するしぐさだ。これはワールドカップでも多かった。
「よけいなお世話」である。カードを出すか出さないかを決めるのはレフェリーの仕事であり、選手の要望を受けて検討するわけでないことは、少年選手たちでさえ知っている。
相手チームにカードが1枚つきつけられるたびに、勝利に1歩近づくとでも思うのだろうか。
それは大きな幻想だ。実際には、サッカーの勝利は相手ゴールにボールを入れることによってのみもたらされるものだからだ。
それとも、ファウルした相手に対する報復を、自分の代わりにレフェリーにやってもらおうというのだろうか。
だとすれば、あまりに寂しい発想ではないか。
私は、何もかもにすぐイエローカードをつきつける現在のレフェリングを支持するわけではない。それが選手たちとレフェリーの間の互いの信頼を失わせる原因のひとつになっているからだ。
しかしレフェリーと選手たちが試合のなかで人間的なつきあい方をするには、選手たちのほうがあまりに「悪く」なりすぎた。スポーツマンとしての誇りを失い、「ゲームズマン」(勝つためには何をしてもいいという取り組み方)になってしまった。
現在の世界的なイエローカードの氾濫は、選手たちが招いたものだ。けっしてレフェリーや国際サッカー連盟が好んでそうしたわけではない。
「原点」に戻ろう。選手はプレーに専念し、判定やカードはレフェリーにまかせよう。サッカーのプロはプレーをして生活を立てるはずだ。判定への抗議やカードの要求で生活ができる選手は、世界にひとりもいない。
(1994年9月6日=火)
原因はレフェリーのストライキだ。選手たちがあまりに判定に文句をつけ、監督たちも記者会見で公然と批判するため、「やってられない」と、Jリーグの試合の審判を全員ボイコットしてしまったのだ。
クラブもリーグも困り果てているが、レフェリーたちは全員アマチュアだから生活にはまったく影響がない。少年サッカーの審判を務めるなど、みんなけっこう楽しくやっている...。
もちろんつくり話だ。しかし笑い話ではない。はっきり言って現在のJリーグ選手たちのレフェリーに対する態度はそれほどひどい。この種の行為がほとんどといっていいほどなかったワールドカップと比較すると、そのひどさがはっきりする。
「おもしろい試合にするにはクリーンでなければならない」と、川淵三郎チェアマンは日本リーグ時代からフェアプレーの徹底を呼びかけてきた。しかし昨年はイエローカードが乱舞しただけでなく、レフェリーとのトラブルが続出し、不愉快な試合が多かった。
その反省から、今シーズンはさらに徹底してフェアプレー、とくにレフェリーに文句をいわないことを呼びかけてスタートした。そして開幕当初にはだいぶ減ったように見えた。だがここにきてまた判定に文句をいう選手が多くなった。
こうした醜い行為がなくならないのは、クラブ側にも問題がある。レフェリーに文句をつけて警告を受けた選手には、年俸の何%かを罰金とするなどの対処をしなければならない。クラブが強い態度で「撲滅」に臨まなければ、いつまでたっても同じことだ。
レフェリーに対する文句と同じように、いや、それ以上に最近「醜い」と感じさせるのは、ファウルを受けた選手がレフェリーにカードを要求するしぐさだ。これはワールドカップでも多かった。
「よけいなお世話」である。カードを出すか出さないかを決めるのはレフェリーの仕事であり、選手の要望を受けて検討するわけでないことは、少年選手たちでさえ知っている。
相手チームにカードが1枚つきつけられるたびに、勝利に1歩近づくとでも思うのだろうか。
それは大きな幻想だ。実際には、サッカーの勝利は相手ゴールにボールを入れることによってのみもたらされるものだからだ。
それとも、ファウルした相手に対する報復を、自分の代わりにレフェリーにやってもらおうというのだろうか。
だとすれば、あまりに寂しい発想ではないか。
私は、何もかもにすぐイエローカードをつきつける現在のレフェリングを支持するわけではない。それが選手たちとレフェリーの間の互いの信頼を失わせる原因のひとつになっているからだ。
しかしレフェリーと選手たちが試合のなかで人間的なつきあい方をするには、選手たちのほうがあまりに「悪く」なりすぎた。スポーツマンとしての誇りを失い、「ゲームズマン」(勝つためには何をしてもいいという取り組み方)になってしまった。
現在の世界的なイエローカードの氾濫は、選手たちが招いたものだ。けっしてレフェリーや国際サッカー連盟が好んでそうしたわけではない。
「原点」に戻ろう。選手はプレーに専念し、判定やカードはレフェリーにまかせよう。サッカーのプロはプレーをして生活を立てるはずだ。判定への抗議やカードの要求で生活ができる選手は、世界にひとりもいない。
(1994年9月6日=火)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。