サッカーの話をしよう

No.84 サッカーの贈り物

 ことし読んだ本のなかで最も興味深かったのは、ウガンダ生まれの若い英国人サイモン・クーパーの「サッカー、そしてそれに敵対するもの」(Football Against the Ememy=英国オリオンブックス社刊)だった。世界のさまざまな国のサッカーを、政治や社会との関わりで描いたもので、興味を引く逸話がつぎつぎと出てくる。
 そのなかからクリスマスシーズン向きの話をひとつ紹介しよう。東西の冷戦時代に東ドイツ国民として四十年間を過ごした熱狂的なサッカーファンの話だ。

 ヘルムート・クロプフライシュ、1948年ベルリン生まれ。親の代からのサッカーファンであり、ベルリンの名門「ヘルタ」を心から愛していた。
 ヘルタは西ベルリンのクラブだったが、61年に東西ベルリンを隔てる「壁」ができる前は自由に観戦に行くことができた。
 だがある日突然壁がつくられた。当時のヘルタのスタジアムは壁のすぐ側にあった。試合の日、東側のヘルタ・サポーターは壁際に集まり、スタジアムの歓声に合わせて歓声を上げた。
 すぐに壁の番兵はこの集会を禁止し、ヘルタも壁から遠く離れた五輪スタジアムにホームを移した。

 サポーターは「地下」に潜った。「ビンゴクラブ」と称して月に1回秘密の集会を開いたのだ。
 驚くことに、その集会には、ヘルタの監督が毎回姿を現した。選手がいっしょにくることもあった。そして数時間、サポーターは愛するヘルタの情報を彼らから直接聞いた。
 ヘルムートの最大の喜びは、郊外の質素な別荘で周囲はばかることなく西側のサッカー中継を見ることだった。西側のサッカーのすばらしさは、東側とは比べものにならなかった。そして西側のチームを直接見るために東欧中を旅行した。

 当然こうした行為は秘密警察の目に止まった。専門の監視役がつき、膨大なファイルも作られた。3度にわたって逮捕もされた。
 3度目の逮捕のとき、ヘルムートは取り調べ官をこう脅した。
 「家に帰らせてくれ。さもないと、友人のフランツを呼ぶぞ!」
 彼はそれまで何度もフランツ・ベッケンバウアーと握手したり、いっしょに写真を撮っていた。秘密警察はそれを知っていたから、もしかすると本当に友達なのではないかと疑った。
 ベッケンバウアーのような有名人を巻き込むと面倒なことになる。彼は即刻解放された。
 ヘルムートの息子、ラルフも、熱心なサッカーファンだった。そして彼も、9歳にして「体制の敵」という烙印を押されていた。学校で「あこがれはバイエルン・ミュンヘン(西側の人気チーム)のカールハインツ・ルンメニゲ」と言ってしまったからだ。

 その数年後、ヘルムートの家にノックがあった。ドアを開けると、そこには優しそうな笑顔をした紳士がいた。なんとバイエルン・ミュンヘンの会長フリッツ・シェーラーだった。
 上がり込んだシェーラーは、ラルフを呼ぶといきなり服を脱ぎはじめた。ヘルムートは「気が変なんじゃないか」といぶかった。
 だが、シェーラーは得意満面だった。
 「ラルフ、きみにプレゼントだ」
 服の下には、サンタクロースのような真っ赤なシャツがあった。ルンメニゲの背番号11がついたバイエルンのユニホームだった。税関の目をごまかすために、シェーラーはわざわざ着込んできたのだった。
 クリスマス・シーズン、世界中のサッカーファンに幸運を!

(1994年12月20日=火)
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス

サッカーの話をしようについて

1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。

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