サッカーの話をしよう
No.99 中西永輔のハンドとフェアプレー
「サッカーはだまし合いのゲーム」
昨年まで横浜マリノスで活躍した日本サッカー史上有数のゲームメーカー木村和司選手の言葉だ。
相手に「右だ」と思わせる動作(フェイント)を入れ、それにつられた瞬間に左に行く。そうやって相手の「読み」の逆をつくのがサッカーの最高の面白さだと、彼は語る。
だが審判の見えない角度でボールを手で扱うのは、木村選手のいう「だまし合い」とは違う。これはスポーツマンとして恥ずべき、ひきょうな行為であり、ルールの上では「著しく不正な行為」として退場処分、レッドカードにあたる。
1995年4月15日のジェフ市原×ヴェルディ川崎戦で起こった「事件」はまったく腹立たしい出来事だった。
延長にはいって9分、ジェフの速攻だ。左サイドのマスロバルから前方を走る中西永輔へロングパス。ヴェルディのラモスが追いついてクリアしようとした瞬間、中西は右肩を入れ、はずんだボールを右の手のひらで軽く押し出した。ラモスはバランスを崩し、フリーでゴールラインまで進んだ中西のパスを中央で後藤が決めてVゴールとなった。
ラモスは砂川恵一主審に激しく抗議したが、主審は中西のハンドを見ることができる角度にはおらず、線審からも遠すぎた。試合はこのまま終わった。
この反則を見ることができるポジションをとれなかったのが審判のミスであるか、不可抗力であったのかを私は論じることはできない。現場にいなかったし、VTRでも確認するのは困難だったからだ。だがそれは大きな問題ではない。
同時に、試合後に中西が「マラドーナもハンドするんだから」とうそぶいたかどうかもどうでもいい。
最大の問題は、その場で中西が知らん顔をしてしまったことだ。
故意であろうと偶然であろうと、中西は自分が手でボールを扱ったという意識はあったはずだ。そしてそれで著しく有利になり、決勝点が生まれたことも、理解しているはずだ。
だとしたら、ラモスが抗議しているときに審判のところに行って「たしかにハンドをしました」と認め、得点を無効にするべきではなかったか。
元選手や「評論家」といわれる人びとのなかには、「審判にみつからないようにやる反則も技術のうち」などと公言する人がいる。それは間違いだ。
こうした行為が横行すれば、やがてサッカーの魅力が薄れ、確実にサッカーの「死」につながる。
昨年までジェフで活躍したオルデネビッツは、ドイツ時代に優勝をかけた大事な試合で自陣ペナルティーエリア内でハンドの反則をしてしまった。相手の抗議に彼はそれを素直に認め、PKになって彼のチームは敗れた。
この行為は、国際的にもずいぶん議論になった。しかし彼の所属クラブは「スポーツマンらしい行為」と称賛した。そして国際サッカー連盟は彼に「フェアプレー賞」を贈った。
フェアプレー賞はともかく、あのときに認めていれば中西は大きなものを得たに違いない。知らん顔をしてしまった結果、彼は一生「ひきょう者」のレッテルを貼ったままプレーしなければならなくなった。
最後にひとつ付け加えたい。国際サッカー連盟がすでにやっているように、懲罰に関わることは、審判が見落としても、VTRで確認できたらJリーグ側が積極的に懲罰を下すべきだ。そうしないと、いつまでも「やり得」の風潮がなくならない。今回の中西には、退場と同じ処分を与えるべきだろう。
(1995年4月25日)
昨年まで横浜マリノスで活躍した日本サッカー史上有数のゲームメーカー木村和司選手の言葉だ。
相手に「右だ」と思わせる動作(フェイント)を入れ、それにつられた瞬間に左に行く。そうやって相手の「読み」の逆をつくのがサッカーの最高の面白さだと、彼は語る。
だが審判の見えない角度でボールを手で扱うのは、木村選手のいう「だまし合い」とは違う。これはスポーツマンとして恥ずべき、ひきょうな行為であり、ルールの上では「著しく不正な行為」として退場処分、レッドカードにあたる。
1995年4月15日のジェフ市原×ヴェルディ川崎戦で起こった「事件」はまったく腹立たしい出来事だった。
延長にはいって9分、ジェフの速攻だ。左サイドのマスロバルから前方を走る中西永輔へロングパス。ヴェルディのラモスが追いついてクリアしようとした瞬間、中西は右肩を入れ、はずんだボールを右の手のひらで軽く押し出した。ラモスはバランスを崩し、フリーでゴールラインまで進んだ中西のパスを中央で後藤が決めてVゴールとなった。
ラモスは砂川恵一主審に激しく抗議したが、主審は中西のハンドを見ることができる角度にはおらず、線審からも遠すぎた。試合はこのまま終わった。
この反則を見ることができるポジションをとれなかったのが審判のミスであるか、不可抗力であったのかを私は論じることはできない。現場にいなかったし、VTRでも確認するのは困難だったからだ。だがそれは大きな問題ではない。
同時に、試合後に中西が「マラドーナもハンドするんだから」とうそぶいたかどうかもどうでもいい。
最大の問題は、その場で中西が知らん顔をしてしまったことだ。
故意であろうと偶然であろうと、中西は自分が手でボールを扱ったという意識はあったはずだ。そしてそれで著しく有利になり、決勝点が生まれたことも、理解しているはずだ。
だとしたら、ラモスが抗議しているときに審判のところに行って「たしかにハンドをしました」と認め、得点を無効にするべきではなかったか。
元選手や「評論家」といわれる人びとのなかには、「審判にみつからないようにやる反則も技術のうち」などと公言する人がいる。それは間違いだ。
こうした行為が横行すれば、やがてサッカーの魅力が薄れ、確実にサッカーの「死」につながる。
昨年までジェフで活躍したオルデネビッツは、ドイツ時代に優勝をかけた大事な試合で自陣ペナルティーエリア内でハンドの反則をしてしまった。相手の抗議に彼はそれを素直に認め、PKになって彼のチームは敗れた。
この行為は、国際的にもずいぶん議論になった。しかし彼の所属クラブは「スポーツマンらしい行為」と称賛した。そして国際サッカー連盟は彼に「フェアプレー賞」を贈った。
フェアプレー賞はともかく、あのときに認めていれば中西は大きなものを得たに違いない。知らん顔をしてしまった結果、彼は一生「ひきょう者」のレッテルを貼ったままプレーしなければならなくなった。
最後にひとつ付け加えたい。国際サッカー連盟がすでにやっているように、懲罰に関わることは、審判が見落としても、VTRで確認できたらJリーグ側が積極的に懲罰を下すべきだ。そうしないと、いつまでも「やり得」の風潮がなくならない。今回の中西には、退場と同じ処分を与えるべきだろう。
(1995年4月25日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。