サッカーの話をしよう
No.102 木村監督休養で挫折したゾーンプレス
横浜フリューゲルスが木村文治監督の「休養」を発表したのは5月8日、ベルマーレ平塚に1−5と大敗した2日後だった。木村監督は試合直後に「きょうほどショックな敗戦はなかった」と語ったと伝えられていたから、ある程度予想されたことだった。
木村監督は日本リーグ2部の京都紫光クラブ(現在の京都パープルサンガ)の監督を務めていたが、91年に加茂周氏がJリーグを目指す全日空(現在の横浜フリューゲルス)監督に就任したのを機にコーチとして着任。昨年12月、加茂氏が日本代表の監督に就任した際に後を継いだ。
加茂監督が就任以来目指してきた「ゾーンプレス」の攻守によるサッカーの完成を目標にし、師と仰ぐ加茂監督の路線を百パーセント継承しての就任。結果的に見れば、この戦術完成へのこだわりが監督の地位を失わせる原因となった。
「ゾーンプレス」というのは、狭い地域に相手を押し込める守備と、奪ったボールを決められた手順に従って素早く攻めるという総合的なチーム戦術。理論的には、世界を制覇するにはこれしかないことは、多くの人が理解している。
昨年のワールドカップでも、世界がこの方向を目指していることは明らかだった。だが「完成形」はまだ見られなかった。わずかに数年前までのACミランや今シーズンのユベントス、そして元フリューゲルス・コーチのズデンコが監督として指導するスロベニア代表がこなしている程度だ。
実行には、非常に高度な判断力と技術、そして何よりも大変な集中力と体力を必要とする。選手にとっては非常に「しんどい」戦術だ。しかも自由にプレーしたがる選手が多いなかで、攻守に多くの約束ごとがあることも大きな障害だ。
今季フリューゲルスは外国人選手を総入れ換えし、3人のブラジル代表選手を迎えた。単純な計算では戦力は大幅にアップするはずだった。だが彼らに「ゾーンプレス」を理解させ、納得させ、実行させることができるかが懸念された。木村監督にとっては、それが「勝負」でもあった。
開幕からフリューゲルスの試合内容は理想にはほど遠かった。守備ではプレスがきかず、攻撃にはスピードがまったく感じられなかった。フリューゲルスは4連敗を2回繰り返した。
だが、木村監督が退陣を決意したのは、連敗したことでも、大敗したことでもない。ベルマーレ戦で選手たちがチームの約束ごとをまったく無視し、自由勝手にプレーをしたことに、監督としてがまんができなかったからに違いない。
連敗のなかで、選手も監督も苦しんだはずだ。だが監督があくまで理想を追求し、世界に通じるチームをつくろうともがくのをあざ笑うかのように、選手たちは「易き」についた。それが許せなかったのだ。
今季、私はたったいちどだけ胸のすくような「ゾーンプレス」を見た。4月15日、横浜で行われたセレッソ大阪戦だった。
前半、フリューゲルスは前園の目の覚めるような個人技によるゴールと、前園−山口−薩川−服部と渡る鮮やかなコンビネーションで2点を先行した。守備もプレスがきき、おもしろいようにボールを奪った。
それは木村監督五カ月間の努力が結実したすばらしい「80分間」だった。
だが後半35分、セレッソのFKがフリューゲルスDF薩川の左肩に当たってGK森の逆をつくという不運な失点で同点となり、結局もう1点許して逆転負け。
世界を目指すフリューゲルスの勇敢な挑戦は、この同点ゴールとともに終わったのかもしれない。
(1995年5月23日)
木村監督は日本リーグ2部の京都紫光クラブ(現在の京都パープルサンガ)の監督を務めていたが、91年に加茂周氏がJリーグを目指す全日空(現在の横浜フリューゲルス)監督に就任したのを機にコーチとして着任。昨年12月、加茂氏が日本代表の監督に就任した際に後を継いだ。
加茂監督が就任以来目指してきた「ゾーンプレス」の攻守によるサッカーの完成を目標にし、師と仰ぐ加茂監督の路線を百パーセント継承しての就任。結果的に見れば、この戦術完成へのこだわりが監督の地位を失わせる原因となった。
「ゾーンプレス」というのは、狭い地域に相手を押し込める守備と、奪ったボールを決められた手順に従って素早く攻めるという総合的なチーム戦術。理論的には、世界を制覇するにはこれしかないことは、多くの人が理解している。
昨年のワールドカップでも、世界がこの方向を目指していることは明らかだった。だが「完成形」はまだ見られなかった。わずかに数年前までのACミランや今シーズンのユベントス、そして元フリューゲルス・コーチのズデンコが監督として指導するスロベニア代表がこなしている程度だ。
実行には、非常に高度な判断力と技術、そして何よりも大変な集中力と体力を必要とする。選手にとっては非常に「しんどい」戦術だ。しかも自由にプレーしたがる選手が多いなかで、攻守に多くの約束ごとがあることも大きな障害だ。
今季フリューゲルスは外国人選手を総入れ換えし、3人のブラジル代表選手を迎えた。単純な計算では戦力は大幅にアップするはずだった。だが彼らに「ゾーンプレス」を理解させ、納得させ、実行させることができるかが懸念された。木村監督にとっては、それが「勝負」でもあった。
開幕からフリューゲルスの試合内容は理想にはほど遠かった。守備ではプレスがきかず、攻撃にはスピードがまったく感じられなかった。フリューゲルスは4連敗を2回繰り返した。
だが、木村監督が退陣を決意したのは、連敗したことでも、大敗したことでもない。ベルマーレ戦で選手たちがチームの約束ごとをまったく無視し、自由勝手にプレーをしたことに、監督としてがまんができなかったからに違いない。
連敗のなかで、選手も監督も苦しんだはずだ。だが監督があくまで理想を追求し、世界に通じるチームをつくろうともがくのをあざ笑うかのように、選手たちは「易き」についた。それが許せなかったのだ。
今季、私はたったいちどだけ胸のすくような「ゾーンプレス」を見た。4月15日、横浜で行われたセレッソ大阪戦だった。
前半、フリューゲルスは前園の目の覚めるような個人技によるゴールと、前園−山口−薩川−服部と渡る鮮やかなコンビネーションで2点を先行した。守備もプレスがきき、おもしろいようにボールを奪った。
それは木村監督五カ月間の努力が結実したすばらしい「80分間」だった。
だが後半35分、セレッソのFKがフリューゲルスDF薩川の左肩に当たってGK森の逆をつくという不運な失点で同点となり、結局もう1点許して逆転負け。
世界を目指すフリューゲルスの勇敢な挑戦は、この同点ゴールとともに終わったのかもしれない。
(1995年5月23日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。