サッカーの話をしよう
No.108 デンマーク代表のメディアサービス
「国際チャレンジ大会」取材のためにイングランドに滞在中、日本のメディア関係者たちは日本代表チームの予定などをそのときどきでチェックすることができた。日本代表の「プレスオフィサー」(報道担当)である加藤秀樹氏が持つ携帯電話の番号が、あらかじめ知らされていたからだ。
2月に香港で行われたダイナスティカップのときにはホテルの電話番号しか知らされておらず、加藤氏が部屋にいなければ練習会場も時間もわからないといった状況だった。だがイングランドでは、チームの移動中でも予定を確認することができた。
92年のヨーロッパ選手権を取材したとき、大きな印象を受けたのは、デンマーク代表のメディアサービスだった。
ユーゴスラビアの資格停止で大会開幕のわずか1週間前に代替出場が決まったデンマーク。だが最初の試合には、チーム写真と選手全員のプロフィールやデータを入れた「メディアガイド」を用意していた。
大会にはいると、これに毎日の「チームレポート」が追加された。ケガした選手の容態、前日行われた記者会見で監督や選手が何を話したかなど、こと細かに情報が伝えられた。
デンマーク協会の職員であるプレスオフィサーにはひとりアシスタントが付いていた。それがリリースのコピーやプレスセンターでの配付など、きめ細かいサービスを可能にした。アシスタントは、チームスポンサーであるデンマークの乳業公社のスタッフだった。
毎日のリリースの最後には、チームホテルの電話番号、ファックス番号のほかに、プレスオフィサーの名前と部屋番号、そして緊急時の携帯電話番号がはいっていた。デンマークは、他国の代表と比べると、メディアに対して非常に「開かれた」チームだった。
こうした活動は、すべて「報道関係者の仕事を助ける」という立場からなされたものだった。もちろん、デンマークのメディアも批判的な記事を書いたり、監督の選手起用を非難することもある。だが何を書かれようと、プレスオフィサーはいつも最大限の努力を払ってメディアの要請に応えようとしていた。
これは、企業の「広報活動」、すなわち、「宣伝してほしいことだけを書かせるために報道関係者と接触する」といった立場とは、180度方向が違う。
ときには都合の悪いことや、手厳しい批判を書かれるかもしれない。だがサッカーを支えるファンの大半は、メディアを通じてしかチームの状況を知ることができない。メディアの仕事を最大限援助することが、ファンや社会に対するサッカー協会の責務であると考える。それが「報道担当」の仕事の原則なのだ。
では、日本ではどうだろうか。
日本サッカー協会の「広報」は、過去一年の間に大きく改善された。各種代表チームの活動には必ずプレスオフィサーが付き、報道への窓口になっている。改善すべき点はまだまだ多いが、方向は正しい。
それに対し、Jリーグはやや「企業広報」的になっているように見える。一般への「広報活動」が主で、「メディアサービス」という考え方は薄いように感じる。当然、所属クラブにも同様の傾向がもつところが少なくない。
「できれば書いてほしくない記事」や「批判記事」が、協会やリーグ、クラブにとってプラスになるか、私の判断するところではない。だが「報道」に対する姿勢に、リーグやクラブが自らの社会的な責任を認識しているかどうかの指標が見られるように思う。
(1995年7月4日)
2月に香港で行われたダイナスティカップのときにはホテルの電話番号しか知らされておらず、加藤氏が部屋にいなければ練習会場も時間もわからないといった状況だった。だがイングランドでは、チームの移動中でも予定を確認することができた。
92年のヨーロッパ選手権を取材したとき、大きな印象を受けたのは、デンマーク代表のメディアサービスだった。
ユーゴスラビアの資格停止で大会開幕のわずか1週間前に代替出場が決まったデンマーク。だが最初の試合には、チーム写真と選手全員のプロフィールやデータを入れた「メディアガイド」を用意していた。
大会にはいると、これに毎日の「チームレポート」が追加された。ケガした選手の容態、前日行われた記者会見で監督や選手が何を話したかなど、こと細かに情報が伝えられた。
デンマーク協会の職員であるプレスオフィサーにはひとりアシスタントが付いていた。それがリリースのコピーやプレスセンターでの配付など、きめ細かいサービスを可能にした。アシスタントは、チームスポンサーであるデンマークの乳業公社のスタッフだった。
毎日のリリースの最後には、チームホテルの電話番号、ファックス番号のほかに、プレスオフィサーの名前と部屋番号、そして緊急時の携帯電話番号がはいっていた。デンマークは、他国の代表と比べると、メディアに対して非常に「開かれた」チームだった。
こうした活動は、すべて「報道関係者の仕事を助ける」という立場からなされたものだった。もちろん、デンマークのメディアも批判的な記事を書いたり、監督の選手起用を非難することもある。だが何を書かれようと、プレスオフィサーはいつも最大限の努力を払ってメディアの要請に応えようとしていた。
これは、企業の「広報活動」、すなわち、「宣伝してほしいことだけを書かせるために報道関係者と接触する」といった立場とは、180度方向が違う。
ときには都合の悪いことや、手厳しい批判を書かれるかもしれない。だがサッカーを支えるファンの大半は、メディアを通じてしかチームの状況を知ることができない。メディアの仕事を最大限援助することが、ファンや社会に対するサッカー協会の責務であると考える。それが「報道担当」の仕事の原則なのだ。
では、日本ではどうだろうか。
日本サッカー協会の「広報」は、過去一年の間に大きく改善された。各種代表チームの活動には必ずプレスオフィサーが付き、報道への窓口になっている。改善すべき点はまだまだ多いが、方向は正しい。
それに対し、Jリーグはやや「企業広報」的になっているように見える。一般への「広報活動」が主で、「メディアサービス」という考え方は薄いように感じる。当然、所属クラブにも同様の傾向がもつところが少なくない。
「できれば書いてほしくない記事」や「批判記事」が、協会やリーグ、クラブにとってプラスになるか、私の判断するところではない。だが「報道」に対する姿勢に、リーグやクラブが自らの社会的な責任を認識しているかどうかの指標が見られるように思う。
(1995年7月4日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。