サッカーの話をしよう
No.110 チームゲームは個人記録よりチームの勝利
「サッカーはチームゲームの究極のものだ。誰も自分ひとりで試合に勝つことはできない。ペレというのは有名な名前だが、ペレがゴールを記録できたのは味方がタイミングのいいパスを出してくれたからにほかならない。そしてブラジルが勝利を重ねたのは、ペレが、個人技ではなく、チームメートにパスしてゴールにつなげようとプレーしたからだ」(「20世紀最高のスポーツ選手」に選出され、文句なく過去最高のサッカー選手だったペレ=ブラジル=の自伝より)
最近、「チームゲーム」というものについて考えさせられたのは、アメリカ大リーグでの野茂の大活躍の報道ぶりからだった。
「16も三振をとった。勝利投手になった。完封した。6連勝した。オールスターで先発した」
次から次への予想を上回る活躍に、日本のマスメディアは熱狂した。もちろんそのいずれもすばらしい業績だ。しかし天の邪鬼の私は考える。
「いや、何よりもすばらしいのは、野茂の活躍でドジャースがリーグ首位になったことではないか」
本来、チームゲームで最も重要なのは「チームの勝利」である。誰が何安打した、何得点をあげたなどの個人記録は、付随的なものにすぎない。それは野球、サッカー、ラグビー、どんなチームゲームにおいても変わらない原則だ。
しかし日本では、チームの成績と同じように、場合によってはチームの勝利に優先して個人記録が重要なものとして語られる。
ヴェルディの快進撃より武田の「連続ゴール」のほうが大きく扱われる。アントラーズが優勝戦線から大きく後退したことより本田の「100試合目の初得点」が優先してニュースで流される。サッカーでも、チームゲームであることを忘れた報道が少なくない。
マスメディアのこうした姿勢は、少年や若い選手たちに「個人記録さえよければ、チーム成績はどうでもいい」という風潮を生む。それはゲームに取り組む姿勢に影響を与え、「ゲームの本質」に気づかぬまま、大成できない選手を生み出すことになる。
昨年のワールドカップでアメリカの組織委員会が出した「公式記録」には驚いた。個々の選手の出場時間(分数)、シュート数はもちろん、何本FKをけったか、いくつファウルをしたか、何本相手にCKを与えてしまったかなど、なんと23項目にもわたって数字が出ていたのだ。
細かな記録をつけることで、何らかの傾向、チームや選手の特徴を見ることはできるかもしれない。しかしそれはけっして「ゲームの本質」ではない。
「得点王なんてどうでもいい」と、ジュビロ磐田のスキラッチはことあるごとに語る。「チームが勝ち、少しでもいい成績を残すことが大事なんだ」。
けっして「いいかっこ」をしているわけではない。「チームゲームの常識」のなかで育った者にとっては当然の言葉なのだ。
連続得点の記録が途絶えても、武田は労をいとわぬ動きでヴェルディ快進撃の立役者になっている。本田は、初ゴールなど記録できなくとも、与えられた役割をこなしてチームが優勝戦線に残れれば百パーセント満足しただろう。
サッカーはチームゲームだ。そしてチームゲームではチームの勝利に優先する個人記録など存在しない。
冒頭で紹介したペレの自伝の書名は、『我が人生と美しいゲーム』である。ペレは、チームの勝利のために全選手が献身的にプレーすることこそ、「美しいゲーム」の基本条件であると力説している。
(1995年7月18日)
最近、「チームゲーム」というものについて考えさせられたのは、アメリカ大リーグでの野茂の大活躍の報道ぶりからだった。
「16も三振をとった。勝利投手になった。完封した。6連勝した。オールスターで先発した」
次から次への予想を上回る活躍に、日本のマスメディアは熱狂した。もちろんそのいずれもすばらしい業績だ。しかし天の邪鬼の私は考える。
「いや、何よりもすばらしいのは、野茂の活躍でドジャースがリーグ首位になったことではないか」
本来、チームゲームで最も重要なのは「チームの勝利」である。誰が何安打した、何得点をあげたなどの個人記録は、付随的なものにすぎない。それは野球、サッカー、ラグビー、どんなチームゲームにおいても変わらない原則だ。
しかし日本では、チームの成績と同じように、場合によってはチームの勝利に優先して個人記録が重要なものとして語られる。
ヴェルディの快進撃より武田の「連続ゴール」のほうが大きく扱われる。アントラーズが優勝戦線から大きく後退したことより本田の「100試合目の初得点」が優先してニュースで流される。サッカーでも、チームゲームであることを忘れた報道が少なくない。
マスメディアのこうした姿勢は、少年や若い選手たちに「個人記録さえよければ、チーム成績はどうでもいい」という風潮を生む。それはゲームに取り組む姿勢に影響を与え、「ゲームの本質」に気づかぬまま、大成できない選手を生み出すことになる。
昨年のワールドカップでアメリカの組織委員会が出した「公式記録」には驚いた。個々の選手の出場時間(分数)、シュート数はもちろん、何本FKをけったか、いくつファウルをしたか、何本相手にCKを与えてしまったかなど、なんと23項目にもわたって数字が出ていたのだ。
細かな記録をつけることで、何らかの傾向、チームや選手の特徴を見ることはできるかもしれない。しかしそれはけっして「ゲームの本質」ではない。
「得点王なんてどうでもいい」と、ジュビロ磐田のスキラッチはことあるごとに語る。「チームが勝ち、少しでもいい成績を残すことが大事なんだ」。
けっして「いいかっこ」をしているわけではない。「チームゲームの常識」のなかで育った者にとっては当然の言葉なのだ。
連続得点の記録が途絶えても、武田は労をいとわぬ動きでヴェルディ快進撃の立役者になっている。本田は、初ゴールなど記録できなくとも、与えられた役割をこなしてチームが優勝戦線に残れれば百パーセント満足しただろう。
サッカーはチームゲームだ。そしてチームゲームではチームの勝利に優先する個人記録など存在しない。
冒頭で紹介したペレの自伝の書名は、『我が人生と美しいゲーム』である。ペレは、チームの勝利のために全選手が献身的にプレーすることこそ、「美しいゲーム」の基本条件であると力説している。
(1995年7月18日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。