サッカーの話をしよう
No.112 オウンゴールは不名誉ではない
高校生のとき、いちどだけ「自殺点」をしたことがある。
私のポジションはMFだった。相手チームが左サイドを突破する。ゴール前を見ると相手のエースがフリーだ。「危ない!」と感じて必死のダッシュでマークに戻ったところに、ちょうどシュートのような強いセンタリングがきた。ボールは私の体に当たり、ゴールキーパーの逆をとってゴールにはいった。
日本協会では「自殺点」という言葉のイメージがスポーツ的ではないということで、昨年から「オウンゴール」という用語をに変えた。だが、どんな名称を使おうと、「自分の守るべきゴールに入れてしまう」というのは、おもしろくない経験だ。
Jリーグでは、まだ「自殺点」だった93年第1ステージでの井原(横浜マリノス)のものが印象的だった。右から強く入れられたボールを、頭からとびついてゴールライン外にクリアしようとしたのだが、角度が悪く、きれいなゴールになってしまったのだ。
Jリーグの「自殺点第1号」。テレビでも大きく取り上げられ、「珍プレー」などの番組になんども取り上げられた。
しかし不思議なことに、公式記録には井原の名前はない。得点経過を簡単に記する欄にも、「相手DF」という表記しかない。Jリーグだけでなく、日本サッカー協会の記録にも、オウンゴールをした選手の名前は登場しない。
これは「自殺点は不名誉である」という考え方からきているもののようだ。恥ずべきことを記録して末代まで残すのは気の毒だという感性だ。だが「自殺点」は本当に不名誉なことなのだろうか。
あのとき井原がボールの方向を変えていなければ、GKがボールをとったかもしれない。だが直接ゴールを割る、あるいはゴール前にフリーの相手がいた可能性もある。いずれにしろ、井原は最大の努力を払ってクリアしようとしたのだ。そのプレーは、「美しい」と言っていいほどだった。結果として自分のゴールにはいったが、恥じるようなプレーではなかった。
オウンゴールには、ひどいミスや情けないプレーによるものもある。だがそれも、チームにとってみれば決定的なチャンスにシュートミスをするFW(実例はいくらでもある)と大差がない。
不名誉なこと、恥ずべきことではないのだから、明確に記録に残すべきだ。試合の記録というのが「どんな試合だったか」を残すものであるなら、「得点者」の名は必要不可欠。だがチームゲームである以上、それは「ゴールが決まったときに最後にボールに触れた者」以上の意味はない。その意味でも、「オウンゴール」を記録することをためらう理由はない。実際のところ、記録に残さないのは日本だけなのだ。
昨年、ワールドカップでのオウンゴールで決勝点を許してしまったコロンビアのエスコバルが帰国後射殺されるというショッキングな事件が起きた。だがそれは、オウンゴールへではなく予選リーグでのコロンビア敗退の「八つ当たり」的な殺人事件だった。
高校時代、「自殺点」を決めてしまったときの私の心境はどうだったか。
「オレがここまで戻ってこなければ、当然1点をくらう場面だった」。私はそう思った。
それよりも、中盤でのつまらないミスパスから相手にボールを奪われ、逆襲を許して失点につながったときのほうが、恥ずかしい思い、チームメートにすまないという気持ちを強くもったものだった。
(1995年8月1日)
私のポジションはMFだった。相手チームが左サイドを突破する。ゴール前を見ると相手のエースがフリーだ。「危ない!」と感じて必死のダッシュでマークに戻ったところに、ちょうどシュートのような強いセンタリングがきた。ボールは私の体に当たり、ゴールキーパーの逆をとってゴールにはいった。
日本協会では「自殺点」という言葉のイメージがスポーツ的ではないということで、昨年から「オウンゴール」という用語をに変えた。だが、どんな名称を使おうと、「自分の守るべきゴールに入れてしまう」というのは、おもしろくない経験だ。
Jリーグでは、まだ「自殺点」だった93年第1ステージでの井原(横浜マリノス)のものが印象的だった。右から強く入れられたボールを、頭からとびついてゴールライン外にクリアしようとしたのだが、角度が悪く、きれいなゴールになってしまったのだ。
Jリーグの「自殺点第1号」。テレビでも大きく取り上げられ、「珍プレー」などの番組になんども取り上げられた。
しかし不思議なことに、公式記録には井原の名前はない。得点経過を簡単に記する欄にも、「相手DF」という表記しかない。Jリーグだけでなく、日本サッカー協会の記録にも、オウンゴールをした選手の名前は登場しない。
これは「自殺点は不名誉である」という考え方からきているもののようだ。恥ずべきことを記録して末代まで残すのは気の毒だという感性だ。だが「自殺点」は本当に不名誉なことなのだろうか。
あのとき井原がボールの方向を変えていなければ、GKがボールをとったかもしれない。だが直接ゴールを割る、あるいはゴール前にフリーの相手がいた可能性もある。いずれにしろ、井原は最大の努力を払ってクリアしようとしたのだ。そのプレーは、「美しい」と言っていいほどだった。結果として自分のゴールにはいったが、恥じるようなプレーではなかった。
オウンゴールには、ひどいミスや情けないプレーによるものもある。だがそれも、チームにとってみれば決定的なチャンスにシュートミスをするFW(実例はいくらでもある)と大差がない。
不名誉なこと、恥ずべきことではないのだから、明確に記録に残すべきだ。試合の記録というのが「どんな試合だったか」を残すものであるなら、「得点者」の名は必要不可欠。だがチームゲームである以上、それは「ゴールが決まったときに最後にボールに触れた者」以上の意味はない。その意味でも、「オウンゴール」を記録することをためらう理由はない。実際のところ、記録に残さないのは日本だけなのだ。
昨年、ワールドカップでのオウンゴールで決勝点を許してしまったコロンビアのエスコバルが帰国後射殺されるというショッキングな事件が起きた。だがそれは、オウンゴールへではなく予選リーグでのコロンビア敗退の「八つ当たり」的な殺人事件だった。
高校時代、「自殺点」を決めてしまったときの私の心境はどうだったか。
「オレがここまで戻ってこなければ、当然1点をくらう場面だった」。私はそう思った。
それよりも、中盤でのつまらないミスパスから相手にボールを奪われ、逆襲を許して失点につながったときのほうが、恥ずかしい思い、チームメートにすまないという気持ちを強くもったものだった。
(1995年8月1日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。