サッカーの話をしよう

No.140 最も遠くからきた記者

 「大洋の島が私を呼ぶ
  焚き火の香りが
  よみがえる
  帰ろう
  いつか故郷に帰ろう
  フォークランドへ
  大洋の島へ」

 控えめで、しかも朗々とした声が室内に響く。人びとは話を止め、その歌に聞き入った。

 スウェーデンで開催された92年欧州選手権の大会期間中、マルメ市の組織委員会が外国からの記者を招待して地方の見学と昼食会を催した。興に乗り、各国の記者が「お国自慢」の歌を歌いだした。名物のウナギ料理に舌つづみを打っていたみんなを沈黙させたのは、フォークランドからきた記者のこの歌だった。
 パトリック・ワッツさん(当時48)は、大会で最も「遠く」からきた記者だった。アルゼンチンとの紛争で有名になった南大西洋のフォークランドからやってきたからだ。定期便はない。大西洋に浮かんだ英国軍事基地をつなぐ空軍機を乗り継いで18時間かけてロンドンに着き、そこからスウェーデンにやってきたのだ。

 ポートスタンリーのラジオ局に勤め、毎週金曜日に発行される「ペンギン・ニューズ」という愉快な名の新聞にスポーツの記事を書くワッツさん。市民と英国兵士を合わせて人口4000人の町の地元紙、発行部数500。その特派員である。78年アルゼンチン・ワールドカップを取材したのをきっかけに、いくつもの国際大会を取材してきた。

 英国が領有していたこの島に、82年、アルゼンチンが突然襲いかかった。破綻した国内経済への不満を外に向けるための暴挙だった。「戦争」は数カ月間続いた。
 「私は放送局を守らなければならなかった。家の残した家族のことが心配でならなかった」
 静かな口調だけに、当時の恐怖が伝わってくる。しかし平和が訪れると、ポートスタンリーはまた元の静かな生活に戻ったという。

 「フォークランド・サッカー協会」には、4クラブが加盟している。もちろん全員アマチュアだ。しかし「代表チーム」もある。ただし国際サッカー連盟には加盟せず、現在のところイングランド協会の「名誉会員」になっている。
 だが、英連邦大会(グッドウィルゲームズ)には、イングランドやオーストラリアに対抗する「フォークランド代表」を送り込み、勇壮な戦いを繰り広げるのだという。この大会で「国歌」として歌われるのが、冒頭で紹介した「フォークランドの歌」なのだ。

 サッカーの国際大会を取材する楽しみのひとつが、世界各国からきた報道関係者との出会いだ。「仲間意識」があるから、情報交換も含めてすぐ打ち解ける。そしてワッツさんのような「とんでもない場所」からきた人と出会うと、つくづく「サッカーをやっていてよかった」と思うのだ。
 国際サッカー連盟加盟国数などに関係なく、サッカーは世界中でプレーされ、世界中の「普通の人びと」に熱愛されている。報道関係者やファンとの接触を通じて、一生行くこともない国の人びとと心を通わせることができる。それがサッカーのすばらしさにほかならない。

 もし2002年ワールドカップが日本にくれば、日本中の人びとがそうした体験をすることができる。私は、そこにこそ、「ワールドカップ日本開催」の、日本にとっての最大のメリットがあると思う。
 ワッツさんの歌声は、荒涼とした南大西洋の孤島の風景を生き生きと私の心に描き出した。
 ふと、私は、島を渡る風を感じた。


140-1992ECパトリック・ワッツさん.jpg

(1996年3月5日)
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス

サッカーの話をしようについて

1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。

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