サッカーの話をしよう
No.149 6月1日 日韓ノーサイド宣言を
ハンブルクに住む友人からファクスがはいったのは4月末のことだった。
「オランダとドイツの犬猿の仲は有名な話です。サッカーの場でもたびたびサポーター同士の衝突が起きてきました。その両国が先日ロッテルダムで対戦しましたが、試合前のセレモニーにとても感激しました」
「通常ならチームごとに分かれて整列します。しかしこの日は両チームは互い違いに並んだのです。そしてドイツ国歌をオランダ人の女性歌手が、オランダ国歌をドイツ人のテノール歌手が歌って両国の親善をアピールしたのです」
国際試合に限らず、試合前は両チームが分かれて並ぶのがスポーツの常識だ。「死闘」に向けての集中力を妨げるようなことをチームが嫌うからだ。国歌も、単なるセレモニーというより、選手たちの「愛国心」を高揚させるために使われる。九二年欧州選手権の決勝戦では、当初開催国スウェーデンの歌手が予定されていたが、デンマークとドイツ両国の要求で、それぞれの国の歌手が歌った。
そうした「常識」や「慣例」を敢えて打破したオランダとドイツのサッカー協会のセンスに敬服する。
いったんキックオフの笛が鳴れば、両チームの選手は文字どおり「敵味方」に分かれ、死力を尽くして戦う。しかし試合が終われば「ノーサイド」(チームの区分がなくなる)であることは、ラグビーに限らず、あらゆるスポーツの、共通する原点である。
オランダ・サッカー協会はそれを「試合前」にまで広げることを提案し、ドイツ協会も快く同意した。
「スポーツの場では、私たちはともにサッカーを愛し、ひとつのゲームをいっしょにエンジョイする仲間だ。協会も、選手も、そしてサポーターも」
そんなメッセージが、ライバル同士の試合前のセレモニーから伝わってくる。
ハンブルクの友人の心配は、オランダ×ドイツ以上に過熱ぎみの「日韓」のライバル関係だ。最終局面を迎えた2002年ワールドカップの招致合戦の熱気が、遠く離れていても伝わってくるという。
どんなに大きな「経済効果」や「社会的影響」があろうと、ワールドカップはあくまでサッカーというひとつのスポーツの大会にすぎない。それがなくても、誰かが飢え死にするような問題ではない。
スポーツの問題なら、勝負はある意味で「時の運」ということもできる。どちらが勝とうと、後にしこりを残したり両者の関係が険悪になることなど、ありえないはずし、あってはならないことだ。
6月1日、FIFA決定が発表されたら、日韓両国のサッカー協会と政府は、どちらが勝とうと相手を祝福し、アジアに迎える初めてのワールドカップの成功のために力を合わせることを宣言するべきだ。激しく争ってきたが、もう試合終了のホイッスルが吹かれ、「ノーサイド」になったことを両国国民と世界に示さねければならない。
友人のファクスは、ひとつの「提案」でしめくくられる。
「6月1日以後できるだけ早く、日本と韓国が親善試合を行うべきです。そしてオランダ×ドイツ方式のセレモニーで両国サッカーの友情をアピールしたらいいと思います」
2002年ワールドカップの開催国決定まで残すところわずか12日間。両国政府と協会の見識ある行動で、その日から、サッカーにおける新しい日韓関係、「友情あふれるライバル」としての関係をスタートさせなければならない。それが21世紀に残す「招致活動」の最後の仕事だ。
(1996年5月20日)
「オランダとドイツの犬猿の仲は有名な話です。サッカーの場でもたびたびサポーター同士の衝突が起きてきました。その両国が先日ロッテルダムで対戦しましたが、試合前のセレモニーにとても感激しました」
「通常ならチームごとに分かれて整列します。しかしこの日は両チームは互い違いに並んだのです。そしてドイツ国歌をオランダ人の女性歌手が、オランダ国歌をドイツ人のテノール歌手が歌って両国の親善をアピールしたのです」
国際試合に限らず、試合前は両チームが分かれて並ぶのがスポーツの常識だ。「死闘」に向けての集中力を妨げるようなことをチームが嫌うからだ。国歌も、単なるセレモニーというより、選手たちの「愛国心」を高揚させるために使われる。九二年欧州選手権の決勝戦では、当初開催国スウェーデンの歌手が予定されていたが、デンマークとドイツ両国の要求で、それぞれの国の歌手が歌った。
そうした「常識」や「慣例」を敢えて打破したオランダとドイツのサッカー協会のセンスに敬服する。
いったんキックオフの笛が鳴れば、両チームの選手は文字どおり「敵味方」に分かれ、死力を尽くして戦う。しかし試合が終われば「ノーサイド」(チームの区分がなくなる)であることは、ラグビーに限らず、あらゆるスポーツの、共通する原点である。
オランダ・サッカー協会はそれを「試合前」にまで広げることを提案し、ドイツ協会も快く同意した。
「スポーツの場では、私たちはともにサッカーを愛し、ひとつのゲームをいっしょにエンジョイする仲間だ。協会も、選手も、そしてサポーターも」
そんなメッセージが、ライバル同士の試合前のセレモニーから伝わってくる。
ハンブルクの友人の心配は、オランダ×ドイツ以上に過熱ぎみの「日韓」のライバル関係だ。最終局面を迎えた2002年ワールドカップの招致合戦の熱気が、遠く離れていても伝わってくるという。
どんなに大きな「経済効果」や「社会的影響」があろうと、ワールドカップはあくまでサッカーというひとつのスポーツの大会にすぎない。それがなくても、誰かが飢え死にするような問題ではない。
スポーツの問題なら、勝負はある意味で「時の運」ということもできる。どちらが勝とうと、後にしこりを残したり両者の関係が険悪になることなど、ありえないはずし、あってはならないことだ。
6月1日、FIFA決定が発表されたら、日韓両国のサッカー協会と政府は、どちらが勝とうと相手を祝福し、アジアに迎える初めてのワールドカップの成功のために力を合わせることを宣言するべきだ。激しく争ってきたが、もう試合終了のホイッスルが吹かれ、「ノーサイド」になったことを両国国民と世界に示さねければならない。
友人のファクスは、ひとつの「提案」でしめくくられる。
「6月1日以後できるだけ早く、日本と韓国が親善試合を行うべきです。そしてオランダ×ドイツ方式のセレモニーで両国サッカーの友情をアピールしたらいいと思います」
2002年ワールドカップの開催国決定まで残すところわずか12日間。両国政府と協会の見識ある行動で、その日から、サッカーにおける新しい日韓関係、「友情あふれるライバル」としての関係をスタートさせなければならない。それが21世紀に残す「招致活動」の最後の仕事だ。
(1996年5月20日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。