サッカーの話をしよう
No.151 自らルールを破ったFIFA
いったいどう表現したらいいのだろうか。
ありえないこと、あってはならないことが起こってしまった。国際サッカー連盟(FIFA)による2002年ワールドカップ日韓共同開催の決定である。
ワールドカップの開催国決定は、本来純粋に「スポーツ」の話でなければならなかった。どこで開催するのがより良いワールドカップの実現につながるか、それだけを考えるて決めるのが筋のはずだった。
立候補国同士の国民感情や歴史的ないきさつ、また特定地域の和平などは、重要な問題であっても、開催地決定の本来の要素とはなりえない。
日本と韓国は、それぞれに「最高にして最大」のワールドカップを「アジアで最初」に開催しようと知恵を絞り、開催計画書を提出した。ともにFIFAが提示した「開催条件」を真剣にとらえ、すべてをクリアした計画だったはずだ。
とすれば、FIFAとしても真摯に両者の計画を検討し、ルールどおりに開催国を決定すべきだった。
ワールドカップの開催国決定のプロセスは、いわば建築工事の入札のようなものだ。発注側(FIFA)は工事の条件(開催条件)を提示し、受注を希望する業者(日韓)は慎重に検討して入札額、工事案(開催計画)を提出する。
「1社だけで全工事をやらなければならない」という工事条件を出して入札を受け付けた以上、どこか1社に決めるのが発注側の誠実義務である。それを決定の直前になって「共同工事にせよ」というのは「ルール無視」以外の何物でもない。発注側と受注側に健全で対等な関係があれば、ありえないことだ。
なぜこんなことになったのか。それはFIFA内部の醜悪な「政争」の結果にほかならない。
74年以来22年間もFIFA会長を務めるブラジル人のアベランジェ。その「独裁」にピリオドを打とうと立ち上がった欧州サッカー連盟会長のヨハンソン(FIFA副会長)。日本支持のアベランジェにヨハンソンが共同開催でゆさぶりをかけた。
アベランジェが主張していた「2006年ワールドカップのアフリカ開催」をヨーロッパにもってくること、次回98年のFIFA会長選挙など「取り引き」の材料はいくつもあった。「綱引き」の結果、ワールドカップは「共同開催」で落ちついた。
「将来のワールドカップの方向性を決める意義のあること」などと声高に大義名分を叫ぼうと、ご都合主義の決定であることは隠すことはできない。
条件のいい「単独開催候補」が二つもあるのだ。純粋に「ワールドカップの成功」を考えれば、問題山積が予想される共同開催などありえない。
ワールドカップ開催国決定という重要なことまで政争の道具にしてしまったFIFAは、急速に世界のサッカーのリーダーとしての機能を失いつつあると見ていいだろう。
今後、日本と韓国はこれ以上FIFAの「食い物」にならないように気をつけるべきだ。「最高のワールドカップ」を実現するために協力し合わなければならないが、無益な「競争」で互いに無理するようなことはあってはならない。FIFAに対する過剰なサービスも、もちろん禁物だ。
それよりも、2002年の決勝戦(どちらでやるかわからないが)を日本と韓国で戦うことができるように、サッカーの面の強化を徹底して計ろう。
それこそ、ルール違反の無責任な「共同開催」を押しつけたFIFAに対する最高の「恩返し」だ。
(1996年6月3日)
ありえないこと、あってはならないことが起こってしまった。国際サッカー連盟(FIFA)による2002年ワールドカップ日韓共同開催の決定である。
ワールドカップの開催国決定は、本来純粋に「スポーツ」の話でなければならなかった。どこで開催するのがより良いワールドカップの実現につながるか、それだけを考えるて決めるのが筋のはずだった。
立候補国同士の国民感情や歴史的ないきさつ、また特定地域の和平などは、重要な問題であっても、開催地決定の本来の要素とはなりえない。
日本と韓国は、それぞれに「最高にして最大」のワールドカップを「アジアで最初」に開催しようと知恵を絞り、開催計画書を提出した。ともにFIFAが提示した「開催条件」を真剣にとらえ、すべてをクリアした計画だったはずだ。
とすれば、FIFAとしても真摯に両者の計画を検討し、ルールどおりに開催国を決定すべきだった。
ワールドカップの開催国決定のプロセスは、いわば建築工事の入札のようなものだ。発注側(FIFA)は工事の条件(開催条件)を提示し、受注を希望する業者(日韓)は慎重に検討して入札額、工事案(開催計画)を提出する。
「1社だけで全工事をやらなければならない」という工事条件を出して入札を受け付けた以上、どこか1社に決めるのが発注側の誠実義務である。それを決定の直前になって「共同工事にせよ」というのは「ルール無視」以外の何物でもない。発注側と受注側に健全で対等な関係があれば、ありえないことだ。
なぜこんなことになったのか。それはFIFA内部の醜悪な「政争」の結果にほかならない。
74年以来22年間もFIFA会長を務めるブラジル人のアベランジェ。その「独裁」にピリオドを打とうと立ち上がった欧州サッカー連盟会長のヨハンソン(FIFA副会長)。日本支持のアベランジェにヨハンソンが共同開催でゆさぶりをかけた。
アベランジェが主張していた「2006年ワールドカップのアフリカ開催」をヨーロッパにもってくること、次回98年のFIFA会長選挙など「取り引き」の材料はいくつもあった。「綱引き」の結果、ワールドカップは「共同開催」で落ちついた。
「将来のワールドカップの方向性を決める意義のあること」などと声高に大義名分を叫ぼうと、ご都合主義の決定であることは隠すことはできない。
条件のいい「単独開催候補」が二つもあるのだ。純粋に「ワールドカップの成功」を考えれば、問題山積が予想される共同開催などありえない。
ワールドカップ開催国決定という重要なことまで政争の道具にしてしまったFIFAは、急速に世界のサッカーのリーダーとしての機能を失いつつあると見ていいだろう。
今後、日本と韓国はこれ以上FIFAの「食い物」にならないように気をつけるべきだ。「最高のワールドカップ」を実現するために協力し合わなければならないが、無益な「競争」で互いに無理するようなことはあってはならない。FIFAに対する過剰なサービスも、もちろん禁物だ。
それよりも、2002年の決勝戦(どちらでやるかわからないが)を日本と韓国で戦うことができるように、サッカーの面の強化を徹底して計ろう。
それこそ、ルール違反の無責任な「共同開催」を押しつけたFIFAに対する最高の「恩返し」だ。
(1996年6月3日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。