サッカーの話をしよう
No.153 ヨーロッパサッカー家族
「ヨーロッパのサッカーはひとつの家族」
イングランドの8都市を舞台に行われているヨーロッパ選手権を取材しながらそんなことを思った。
アジア、アフリカ、南米も加わるワールドカップと比べると、非常に整然とした感じがする。16の出場チーム、観客、そして取材するメディアにも、ひとつの「常識」のようなものが流れていて、そのなかですべてが運ばれている。
ヨーロッパサッカー連盟(UEFA)は強力な財政基盤とリーダーシップをもった組織だが、それだけではこの「秩序」を説明することはできない。もっと深く、幅広い要因が、ヨーロッパ・サッカーの「常識」を支えている気がする。
ヨーロッパでは毎年3種類のクラブカップが開催され、加盟49協会から約200クラブが参加する。大会は完全な「ホームアンドアウェー」形式。どのチームと当たっても、地元と相手のホームタウンで一試合ずつ行う。チームが動けばメディアが従い、ファンも動く。200クラブすなわち200都市が、サッカーを通じて毎年無差別に「交流」していることになる。
また2年ごとにヨーロッパ選手権とワールドカップの予選が繰り返され、代表チームすなわち国同士の交流も「半強制的」に行われる。こうした日常的な交流がヨーロッパのサッカーにひとつの「文化的常識」を育て、今大会での「秩序」となって現れているのだ。
たいていの国へは飛行機で1、2時間というヨーロッパの「狭さ」がうらやましい。アジアでは、乗り継ぎの都合によっては一昼夜を要するところさえあるからだ。
アジア・サッカーの後進性は、経済的な問題もさることながら、あまりに広大で、日常的な国際交流が不足している点にある。
そしてそのなかで、日本はヨーロッパや南米の「先進国」に目を向け、そこを目指して「追いつき、追い越せ」と努力してきた。
高い目標をもつのはけっこうなことだ。だがこの日本サッカーの歩みは、日本経済とどこか共通した面がある。アジアに背を向け、世界ばかり見て励んできた結果、気がついたら「アジアの中の日本」という立場がどこにも見えない。
地理的距離だけでなく、宗教、経済、政治などアジアには多くの問題があり、それがサッカーの自由な交流を阻んでいる。しかし日本のサッカーは、自らがもうひとつ成長するためにアジア全体のサッカーを発展させければならないことに気づくべきだ。
アジアのクラブカップに「サテライトチーム」を送っていてはいけない。大会と相手チーム、相手国に敬意を払い、最強チームでホームもアウェーも戦えるよう国内の日程を調整しなければならない。アジアで最も重要な代表チームの大会である「アジアカップ」には、しっかりと準備して臨まなければならない。アジアサッカー連盟(AFC)の活動にも、積極的に取り組まなければならない。
アジア・サッカーのリーダーシップをとって、ヨーロッパのような「サッカー家族」とすることで全体のレベルアップを図らなければ、日本サッカーが本当に世界に追いつくことはできないのだ。
「フットボール・カムズ・ホーム(サッカーがお家に帰ってきた)」
今大会のキャッチフレーズだ。もちろんイングランドがサッカーの「母国」であることを示しているのだが、私には、ヨーロッパというひとつの「サッカー家族」が久しぶりに実家に顔をそろえたんだと言っているようにも思えてならないのだ。
(1996年6月17日)
イングランドの8都市を舞台に行われているヨーロッパ選手権を取材しながらそんなことを思った。
アジア、アフリカ、南米も加わるワールドカップと比べると、非常に整然とした感じがする。16の出場チーム、観客、そして取材するメディアにも、ひとつの「常識」のようなものが流れていて、そのなかですべてが運ばれている。
ヨーロッパサッカー連盟(UEFA)は強力な財政基盤とリーダーシップをもった組織だが、それだけではこの「秩序」を説明することはできない。もっと深く、幅広い要因が、ヨーロッパ・サッカーの「常識」を支えている気がする。
ヨーロッパでは毎年3種類のクラブカップが開催され、加盟49協会から約200クラブが参加する。大会は完全な「ホームアンドアウェー」形式。どのチームと当たっても、地元と相手のホームタウンで一試合ずつ行う。チームが動けばメディアが従い、ファンも動く。200クラブすなわち200都市が、サッカーを通じて毎年無差別に「交流」していることになる。
また2年ごとにヨーロッパ選手権とワールドカップの予選が繰り返され、代表チームすなわち国同士の交流も「半強制的」に行われる。こうした日常的な交流がヨーロッパのサッカーにひとつの「文化的常識」を育て、今大会での「秩序」となって現れているのだ。
たいていの国へは飛行機で1、2時間というヨーロッパの「狭さ」がうらやましい。アジアでは、乗り継ぎの都合によっては一昼夜を要するところさえあるからだ。
アジア・サッカーの後進性は、経済的な問題もさることながら、あまりに広大で、日常的な国際交流が不足している点にある。
そしてそのなかで、日本はヨーロッパや南米の「先進国」に目を向け、そこを目指して「追いつき、追い越せ」と努力してきた。
高い目標をもつのはけっこうなことだ。だがこの日本サッカーの歩みは、日本経済とどこか共通した面がある。アジアに背を向け、世界ばかり見て励んできた結果、気がついたら「アジアの中の日本」という立場がどこにも見えない。
地理的距離だけでなく、宗教、経済、政治などアジアには多くの問題があり、それがサッカーの自由な交流を阻んでいる。しかし日本のサッカーは、自らがもうひとつ成長するためにアジア全体のサッカーを発展させければならないことに気づくべきだ。
アジアのクラブカップに「サテライトチーム」を送っていてはいけない。大会と相手チーム、相手国に敬意を払い、最強チームでホームもアウェーも戦えるよう国内の日程を調整しなければならない。アジアで最も重要な代表チームの大会である「アジアカップ」には、しっかりと準備して臨まなければならない。アジアサッカー連盟(AFC)の活動にも、積極的に取り組まなければならない。
アジア・サッカーのリーダーシップをとって、ヨーロッパのような「サッカー家族」とすることで全体のレベルアップを図らなければ、日本サッカーが本当に世界に追いつくことはできないのだ。
「フットボール・カムズ・ホーム(サッカーがお家に帰ってきた)」
今大会のキャッチフレーズだ。もちろんイングランドがサッカーの「母国」であることを示しているのだが、私には、ヨーロッパというひとつの「サッカー家族」が久しぶりに実家に顔をそろえたんだと言っているようにも思えてならないのだ。
(1996年6月17日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。