サッカーの話をしよう
No.164 「サッカーの常識」は見苦しい
「サッカーのあれが嫌いなんだよ」
以前、ラグビーファンからこう指摘された。
「あれ」とは、タッチラインを出たボールが相手チームのスローインだとわかったときに、すぐには渡さず、しばらく下がってからポーンと高く投げてしまう行為のことだ。
自分が守備のポジションにつく前に相手チームがスローインをしてしまったら不利になる。だから時間をかせぐためにこんなことをする。サッカーという競技ではなかば「常識」、見慣れたファンにとっては何でもない行為だ。
だが別の競技をしている人の目には、これが信じがたい行為と映った。スポーツの風上にも置けない卑劣な行為に見えたのだ。
「スポーツにはそれぞれお家柄がある」
長い間、日本サッカーの「ご意見番」役を務めてきたジャーナリスト牛木素吉郎氏(元読売新聞)は、いたずらにスポーツ同士を比べる危険性をこう説いた。
各競技には、それぞれの歴史的・文化的な背景があり、それぞれ習慣や哲学が違う。ある競技で反則とされることが、別の競技では高度な駆け引きと見られる場合もある。
私にしても、ともすれば「サッカーの常識」を物差しにして他の競技を見てしまう。だがその競技のバックグラウンドをしっかりと知らないと、とんだ見当違いをしてしまう。
しかし冒頭のラグビーファンの言葉は、「お家柄」を超えた話だった。「赤信号、みんなで渡れば怖くない」的な感覚の麻痺を、指摘された思いだった。
先日、あるスキー団体の人びとと話をする機会があった。Jリーグが進めている「ホームタウン構想」を説明してほしいと、地域や職場のスキークラブの代表者たちから求められ、理解している範囲で話した。
Jリーグの理想形はドイツなどに見られる地域に密着した総合スポーツクラブであること。プロとして成り立つサッカーを中心に、地域の人びとがいろいろなスポーツを手軽に楽める環境をつくろうとしていること。現状ではまだサッカーで手いっぱいだが、川淵チェアマンのリードで「総合スポーツクラブ化」への動きが始まっていること。
すると、大阪でスキークラブを運営している人からこんな話が出た。
「Jリーグをテレビで見ていると、必ず相手の体やシャツを引っ張るシーンに出くわす。とてもスポーツとは思えないアンフェアーな行為を平気でしている。そんなことをしているJリーグが、地域のスポーツ全般を振興するなどと言っても、まったく喜べない。逆に、余計なお世話だと言いたい」
これまで、日本ではサッカーはマイナーな存在だった。少年たちの間でいくら盛んになってもマスコミでの取り上げは小さく、一般の人びとの話題にはならなかった。そのせいか、「外部」の人びとがサッカーをどう見るかなど、あまり気にしていなかった。
「町のスキーヤー」や冒頭のラグビーファンの指摘に、「世界のどこでもやっていること。サッカーでは常識の範囲。別に反則ではない」と居直ることは簡単だ。だが素直に心を開いてみれば、彼らの感覚のほうが正しいことは明らかだ。
Jリーグは、「ホームタウン構想」を通じて地域社会への責任を果たそうとしている。それは大事なことだ。だが同時に、大きな注目を集める存在として、競技をよりフェアなものにすることによって、スポーツ全体への責任も果たさなければならないと私は思う。Jリーグは、クラブは、そして選手たちはどう考えるだろうか。
(1996年9月30日)
以前、ラグビーファンからこう指摘された。
「あれ」とは、タッチラインを出たボールが相手チームのスローインだとわかったときに、すぐには渡さず、しばらく下がってからポーンと高く投げてしまう行為のことだ。
自分が守備のポジションにつく前に相手チームがスローインをしてしまったら不利になる。だから時間をかせぐためにこんなことをする。サッカーという競技ではなかば「常識」、見慣れたファンにとっては何でもない行為だ。
だが別の競技をしている人の目には、これが信じがたい行為と映った。スポーツの風上にも置けない卑劣な行為に見えたのだ。
「スポーツにはそれぞれお家柄がある」
長い間、日本サッカーの「ご意見番」役を務めてきたジャーナリスト牛木素吉郎氏(元読売新聞)は、いたずらにスポーツ同士を比べる危険性をこう説いた。
各競技には、それぞれの歴史的・文化的な背景があり、それぞれ習慣や哲学が違う。ある競技で反則とされることが、別の競技では高度な駆け引きと見られる場合もある。
私にしても、ともすれば「サッカーの常識」を物差しにして他の競技を見てしまう。だがその競技のバックグラウンドをしっかりと知らないと、とんだ見当違いをしてしまう。
しかし冒頭のラグビーファンの言葉は、「お家柄」を超えた話だった。「赤信号、みんなで渡れば怖くない」的な感覚の麻痺を、指摘された思いだった。
先日、あるスキー団体の人びとと話をする機会があった。Jリーグが進めている「ホームタウン構想」を説明してほしいと、地域や職場のスキークラブの代表者たちから求められ、理解している範囲で話した。
Jリーグの理想形はドイツなどに見られる地域に密着した総合スポーツクラブであること。プロとして成り立つサッカーを中心に、地域の人びとがいろいろなスポーツを手軽に楽める環境をつくろうとしていること。現状ではまだサッカーで手いっぱいだが、川淵チェアマンのリードで「総合スポーツクラブ化」への動きが始まっていること。
すると、大阪でスキークラブを運営している人からこんな話が出た。
「Jリーグをテレビで見ていると、必ず相手の体やシャツを引っ張るシーンに出くわす。とてもスポーツとは思えないアンフェアーな行為を平気でしている。そんなことをしているJリーグが、地域のスポーツ全般を振興するなどと言っても、まったく喜べない。逆に、余計なお世話だと言いたい」
これまで、日本ではサッカーはマイナーな存在だった。少年たちの間でいくら盛んになってもマスコミでの取り上げは小さく、一般の人びとの話題にはならなかった。そのせいか、「外部」の人びとがサッカーをどう見るかなど、あまり気にしていなかった。
「町のスキーヤー」や冒頭のラグビーファンの指摘に、「世界のどこでもやっていること。サッカーでは常識の範囲。別に反則ではない」と居直ることは簡単だ。だが素直に心を開いてみれば、彼らの感覚のほうが正しいことは明らかだ。
Jリーグは、「ホームタウン構想」を通じて地域社会への責任を果たそうとしている。それは大事なことだ。だが同時に、大きな注目を集める存在として、競技をよりフェアなものにすることによって、スポーツ全体への責任も果たさなければならないと私は思う。Jリーグは、クラブは、そして選手たちはどう考えるだろうか。
(1996年9月30日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。