サッカーの話をしよう

No.171 ワールドカップ国内会場 絞り込む側の責任

 「32チーム、全64試合を日本と韓国で半分ずつ開催する。開幕戦は韓国、決勝戦は日本で行う」
 2002年ワールドカップの概要が固まり始めた。5月で解散した「招致委員会」から来年に予定されている「組織委員会」設立までの、つなぎの仕事を担当する日本の「開催準備委員会」にとっては、もっとも厳しい決断のときだ。

 93年1月、「招致委員会」は国内開催地に立候補した15の自治体を予定の12に絞りきることができず、結局15会場で大会を運営する方針を決めた。
 その時点で24だった出場チーム数を、国際サッカー連盟(FIFA)が32に増やすことを決めたのは94年5月。これで15は無理のない会場数となった。だが「共同開催」で状況は大きく変わった。

 FIFAと日韓両国の初めてのミーティングから帰国した長沼健・日本サッカー協会会長(準備委員会では実行委員長)は、「FIFAから6ないし10が妥当な会場数と言われた」と報告、93年にできなかった「絞り込み」をしなければならない状況になった。
 長沼会長は「絞り込みではない。あくまで話し合いで決める」と言うが、いくつかの候補地がワールドカップを開催できなくなるという事実に変わりはない。
 1自治体あたり2億数千万円の招致活動資金を分担し、努力を続けてきた候補地にとって、受け入れがたい結論を、準備委員会は下さなければならない。「共同開催」をのんだ時点で当然考えなければならなかったことを先送りしてきた結果とはいえ、大変な決断を迫られているのだ。

 気になるのは、絞り込みが単なる「数合わせ」の様相を呈していることだ。
 「6ないし10に」とFIFAから言われたことが、なぜ「10会場に決定」という話になるのか。それでは日本の「主体性」はどこにあるのか。
 日本の招致委員会は、史上最高のワールドカップにしようと練りに練った「開催計画」をFIFAに提案した。それは15の舞台で32チームが64試合を戦う、楽しく美しい大会になるプランだった。
 だがそれが16チーム、32試合になった。当然「開催計画」を根本から見直さなくてはならない。
 「16チームのワールドカップ」をどう開催したら成功するか。会場をどのように日本全国に配置し、大会をどう運営するか。それこそ、早急に考えるべきことのはずだ。
 だが現状ではそんなことは後回し。聞こえてくるのは、どうしたら5つ落とせるか、どこが落ちるかの議論ばかりだ。「最善の開催計画」では会場数が8になるかもしれない。そうなら7自治体を落とさなければならないのに。

 90年、イタリアでは、24チームの大会に12会場が用意され、1グループ(4チーム)2都市で予選リーグを戦った。98年フランス大会では、32チーム、全8グループが全土の十会場を転々としながら試合をする。大会の運営プランは、それぞれの国が最善と思えるものをたてているのだ。
 「数」からスタートするのは間違っている。それは最終的には、大会の運営に「ひずみ」を生む。日本協会と準備委員会が主体的に大会開催計画を練り、自ら責任をもって会場計画を決めなければならない。

 どう決めても「痛み」は回避できない。ならばせめて、「すばらしい大会だった」と誰もが思える大会にしなければならない。それこそ、今回「ふるい落とされる」自治体に対する日本協会と準備委員会の最大の責任にほかならない。

(1996年11月25日)
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