サッカーの話をしよう
No.175 ワールドカップ予選の年 頼むぞカズ
キャプテンの腕章を巻いたカズ(三浦知良)が高々とカップを掲げ、大きく顔をほころばせた。すばらしい笑顔だった。
毎年元日に行われる天皇杯決勝。しかしそれは「年始の試合」というより、1シーズンの「しめくくり」の試合である。そしてまさに、ふさわしい男の手にカップは握られていた。
「カズの96年」は苦しいシーズンだった。
Jリーグ開幕とともに襲ったヴェルディの不振。5月のキリンカップでは右ヒザを負傷し、その痛みがずっとカズを苦しめた。強いキックができず、シュートのタイミングを逃したことも何度もあった。
7月、オリンピック代表がブラジルを破る歴史的な快挙。マスコミは若い世代の台頭に沸き、カズらベテランの影は薄くなった。
だがJリーグの終盤、ヴェルディ優勝の可能性がゼロになったとき、逆にカズの闘志は燃え上がった。割り切って「ゴール」に集中し、四試合で7得点をマーク。大逆転で得点王の座を獲得したのだ。
12月、カズはアラブ首長国連邦のオアシスの町、アルアインにいた。アジアカップを防衛するためだった。だが結局日本代表は準々決勝で敗退。カズもヘディングによる1得点に止まった。チーム全体の出来が悪く、サポートが遅かったため、カズは相手の乱暴なタックルにさらされた。
「気持ちで負けてしまったのが悔しい」
カズは厳しい口調でそう語って日本に戻った。
そして天皇杯。ヴェルディは見事に復活し、レベルの高いチームプレーで優勝を飾った。驚いたのは、カズの献身的な動きだった。攻撃のときの労を惜しまぬ動きはこれまでどおりだった。しかしこの大会では、相手ボールになったときに一瞬も休むことなく守備のポジションにはいり、激しく相手を追い詰めるカズが見られた。その動きが若いヴェルディを一体化させ、優勝に導いたのだ。
その日、カズは気負うところなくこう話した。
「アジアカップでは、自分自身も何か足りないと感じた。それをグラウンドで表現したいと思って天皇杯に臨んだんです」
「FWでも、追いかけ、スライディングし、不格好でもヘディングでくらいつき、『ケツを汚して』サッカーしなければならない。アラブに気持ちで負けた。激しさで負けた。けど次にやるときには負けないようにしようでは絶対にダメ。日本でも、練習やJリーグなど日常からそういうプレーをしていかなければ、急にはできないんです」
カズはことし2月に30歳の誕生日を迎える。だが不安はないと言う。
「プレースタイルは変わっていくかもしれない。でも精神的にしっかりしていれば、これからも伸びていけると思います」
実は、カズの右ヒザは、普通だったら何カ月も試合を休まなければならないほどの負傷だった。だがカズは「プレーしながら治す」と出場し続け、ヴェルディでも日本代表でもチームの先頭に立って体を張ったプレーを見せてきた。
96年は「苦しいシーズン」だった。それだけに、私はカズの本当の価値を見た気がした。
カズはがんばった。努力を続け、戦い抜いた。えらいぞ、カズ!
ヴェルディの天皇杯優勝は、サッカーの神様がそんなカズのがんばりをしっかりと見ていてくれたようでうれしかった。
九七年、カズの最大の目標であり、日本の全サッカーファンの夢であるワールドカップ出場を目指す戦いの年。カズのがんばりが、きっと「フランス」に導いてくれるに違いない。
(1997年1月6日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。