サッカーの話をしよう
No.176 43年目のクリスマスプレゼント
少年たちは一プレーごとに歓声を上げ、無邪気に喜んだ。年配者たちはじっと押し黙り、かみしめるように、そして「あの時代」を思い出すように、画面に見入った。ふだんはサッカーなど見ようとしない女性たちも、この日ばかりはテレビの前に座っていた。
昨年の12月25日、静かなクリスマスの午後。ハンガリー国民は国営放送MTVにクギ付けになっていた。53年にハンガリーがロンドンでイングランドを6−3で破った試合が、この日初めてフルタイム放映されたのだ。
1953年11月25日水曜日。前年のヘルシンキ・オリンピック優勝のハンガリーがロンドンのウェンブリー競技場でイングランドと対戦した。迎えるイングランドは、初めて出場した50年のワールドカップでアメリカに屈辱的な敗戦を喫したものの、いまだに「世界の帝王」だった。ウェンブリーでの国際試合での不敗記録は、もう30年間も続いていた。
だがハンガリーは立ち上がりから見事な攻撃を見せた。開始わずか1分でFWヒデクティが先制ゴール。イングランドも反撃し、15分に同点に追いつく。だがこの時点ですでにハンガリーとイングランドの力の差は歴然としていた。
ハンガリーはボールの魔術師の集まりだった。スピードとテクニックと強烈なシュート力を備えた選手が並び、しかもその選手たちが見事なチームプレーで結びつけられていたのだ。
前半のうちに4−2と差が開く。3点目は、天才FWプスカシュが右からのボールを右ポスト前で受け、目のくらむようなテクニックでイングランドのDFビリー・ライトを破り、左足でニアポスト側の天井にけり上げたものだった。
後半、15分までにハンガリーはさらに2点を追加し、その後の30分間は無理をせずテクニックの披露に費やした。ホームチームはPKで1点を返すのがやっと。スタンドを埋めた10万人のイングランド・ファンまでが、ハンガリーのプレーに感嘆し、最後には拍手を送った。
初めてウェンブリーでイングランドを倒したことだけではない。スコアだけでもない。流れるようなサッカーのすばらしさが、「マジック・マジャール(ハンガリー民族)」と絶賛されたのだ。
だが翌年のワールドカップ(54年スイス大会)では決勝戦で不運な敗戦(4年ぶりの敗戦だった)を喫し、さらに、56年にはソ連軍の侵攻によって選手たちはばらばらとなった。ハンガリーがふたたび「マジック」と呼ばれるチームをもつことはなかった。
「20世紀最高の試合」と呼ばれた53年のイングンド戦は、ハンガリー国民にとって大きな誇りにほかならなかった。だが、奇妙なことだが、国民の大多数は、この試合をフルで見たことはなかったのだ。
当時、イングランドではテレビ放送が始まっていたが、ハンガリーはラジオだけの時代だった。試合の数日後に20分間ほどのダイジェストが全国の映画館で放映され熱狂を呼んだが、それだけだった。今回のフルタイム放送は、この試合のテープの権利をもつ英国のBBC放送と、イングランド・サッカー協会の好意で実現したものだった。
43年も前のひとつの親善試合。その試合は国民の間で「伝説」のように語り継がれた。それがキックオフから終了までカットなしの映像としてテレビで国民に伝えられたとき、「伝説」は「国宝」となった。
ハンガリー国民は、英国政府からのどんな経済援助よりも、この粋な「クリスマス・プレゼント」に感謝したに違いない。
(1997年1月13日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。