サッカーの話をしよう
No.185 ルイスフラビオ ワールドカップ予選陰のキーマン
酷暑のなか、1日おきに3試合というハードスケジュールだったワールドカップ・アジア予選オマーン・ラウンド。日本はほとんど選手を代えずに戦ったが、最後までプレスが効き、動きが落ちなかった。
日本代表は3月8日に成田を発ち、シンガポール、タイで調整して16日にマスカットにはいった。バンコクではタイ代表に1−3で敗れるなど疲労の極にあったが、マスカット入りしてから日に日に調子が上がり、初戦、対オマーンの前日にはすばらしいコンディションに仕上がっていた。
「フラビオ・コーチのおかげです」
初戦の前日の練習が終わった後、加茂周監督は選手たちに動きの良さをこう話した。
加茂監督就任以来「フィジカルコーチ」としてコディショニングを担当しているルイス・フラビオ・コーチ(47)こそ、マスカットの3試合を万全のコンディションで乗り切ることができた最大の功労者であり、フランス・ワールドカップに向けて重要な役割を担うキーマンなのだ。
日本のサッカーでは、チームの体力面の準備をするのはコーチの役割というのが10年ほど前までの常識だった。だがブラジルを中心とした南米では、早くから「フィジカルコーチ」が技術や戦術の練習を担当する「コーチ」とは別の専門職となっていた。そして89年、オスカーが日産の監督に就任してきたときにブラジルからマフェイという専門家を呼んだのが、日本の「フィジカルコーチ」の始まりだった。
ブラジルは58年、62年とワールドカップで連覇を遂げた。その原動力は、ペレ、ガリンシャといった「ボールの芸術家」たちのきらめくようなテクニックだった。だが66年大会はグループリーグで敗退。敗因をパワーをはじめとした体力不足であると分析したブラジル協会は、徹底した体力トレーニングで代表チームを鍛えることにした。
「やり始めたら徹底的」がブラジル流。あるいは、「世界のサッカー王国」の自負だったのだろうか。サッカーではなくトレーニングの専門家をアメリカに派遣し、NASAの宇宙飛行士養成プログラムまで導入して、サッカー用のフィジカルトレーニングプランをつくったのだ。
その効果はすばらしかった。70年大会、ブラジルは6戦全勝で文句なく「世界チャンピオン」に返り咲いた。ペレらの技巧が、卓越したフィジカル・コンディションに支えられ、「理想のチーム」と称賛される優勝だった。
フラビオ・コーチはそうした流れをくむブラジルの超一流のフィジカルコーチである。91年に読売クラブに呼ばれて来日、読売を日本リーグ最終シーズン優勝に導き、その後の「ヴェルディ黄金時代」の影の支え役となった。そして95年からは、加茂監督にとってなくてはならない存在になっているのだ。
昨年2月、日本代表のオーストラリア合宿を見た。合宿の目的は攻撃戦術の練習だった。だが初日は加茂監督は何もせず、すべてのプログラムをフラビオ・コーチが指揮した。ボールを使いながら、あるいはゲーム的要素を入れながら、実際にはハードな体力トレーニングを進めていく手腕には、思わず拍手を送りたくなった。
だが驚くのは早かった。翌日、加茂監督が指揮する練習が始まると、前日のトレーニングで要求された身のこなし、走り方などがすべて生かされていることがわかるのだ。
「これがプロの仕事か」と、感嘆せずにはいられなかった。
オマーン戦の前夜、散歩しているフラビオ・コーチに出会った。選手のコンディションを聞くと、自信にあふれた表情と、やや高めのハスキーな声で日本語の答が返ってきた。
「ひゃくパーセント」
このとき私は、3試合の勝利を確信した。
(1997年3月31日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。