サッカーの話をしよう
No.186 喜びも悲しみもホーム100試合
「ありがとう、ホーム百試合」
こんなキャッチコピーのはいったポスターがJR浦和駅に貼り出されたのは先週のことだった。Jリーグ第3節、4月19日に国立競技場で行われる対サンフレッチェ広島戦が、浦和レッズにとって100試合目のホームゲームになるという。
日本サッカーリーグ時代の「三菱」から「浦和レッズ」に変わったのが92年3月。その年の九月、Jリーグ初の公式戦ナビスコ杯開幕戦でのジェフ市原戦を皮切りにレッズが主管してきた公式戦のホームゲームが、ようやく100試合目になるのだ。
92年9月5日、浦和市の駒場競技場はまだ工事中で、大宮サッカー場が使用された。観衆4934人。現在のレッズからすると信じがたい数字だが、当日取材した私はすばらしい雰囲気に感激した。
現在のようなサポーターはまだなかった。しかしスタンドのあちこちでこの日を待ちかねた若者たちが小さなグループをつくり、真っ赤な旗をうち振って大きな声援を送り、歌も出た。ゲームもスリリングで、ジェフが3−2で勝ったが、観客は満足し、本当に幸せそうな顔をしていた。
翌年にスタートしたJリーグ。レッズは負傷者続出でつまずき、95年まで3ステージ連続最下位という屈辱を味わう。負け続け、大量失点の記録をつくって嘲笑の的となったレッズ。それを支えたのは、どの試合も変わらずスタンドを埋め、熱狂的な声援を送り続けたホームタウンのファンとサポーターだった。
95年にホルガー・オジェック監督を得て急上昇したレッズだが、ことしのナビスコ杯予選リーグまで、過去98のホームゲームの通算成績は50勝2分け46敗。わずかに5割を超した程度にすぎない。半分は「負け試合」だった。その間の延べ観客数173万3362人、1試合平均1万7689人。浦和のファンが、いかに「がまん強い」かの証拠だ。
ポスターには、過去の公式戦出場全選手、歴代全監督、そして今シーズン登録全選手と監督・コーチの顔写真がはいっている。総勢85人。
「苦難の時代」に奮闘した者。6シーズンにわたって大きなケガもなく活躍してきた者。期待を裏切ってすぐ帰国した外国人選手。これからデビューしようという若手。積み上げてきた「100試合」の重さ、小さな「歴史」が、見事に表現されている。
レッズは92年9月5日の最初の試合からホームゲームごとに「オフシャルマッチデープログラム」を発行してきた。当然、4月19日には、それも「通算100号」を迎える。
「何十年も積み重ねていくうちに、そのままクラブの歴史になる」(Jリーグ発行「Jリーグクラブとホームタウンの現在・未来」浦和レッズのページより)とスタートしたもの。6年を経たいま、それは見事に小さな「歴史」となった。
継続は力なり、なのだ。しっかりとしたビジョンをもち、それを頑固に続けてきたことが、ファンやサポーターの信頼を勝ち取り、現在のレッズがある。
「秘密」など何もない。ただ、「ホームタウンの人びとに喜んでもらえるプロサッカークラブ」の理念から目を離さずにやってきただけなのだ。
4月19日は学校が休みでない土曜日で、午後3時からの東京での試合とあって、さすがのレッズも発売と同時に売り切れにはならなかったようだ。しかし最終的にはレッズらしく多くのファンが集まり、百試合目のホームゲームを盛大に祝うに違いない。
(1997年4月7日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。