サッカーの話をしよう
No.187 集客の羅針盤はファンの視点で
4月16日。寒風にさらされた水曜の夜だった。
この日各地で行われたJリーグに集まった観客は合計4万9471人。1試合平均でわずか6184人。この平均値も、市原でのジェフ×サンガ戦の3057人という数字も、ともにJリーグの最低記録を更新するものとなった。
昨年の観客数激減で各クラブは大打撃を受けた。収入が目論見より大幅に低くなってしまったからだ。
当然のことながら、今季を前に各クラブは「観客数回復」の計画を練り、実行に移してきた。入場料の値下げ、ファンクラブ組織のてこ入れ、ホームタウンでのサイン会、果ては駅頭での選手によるチラシ配り、「たまごっち」プレゼントなど、さまざまな「努力」の跡を見せた。
だがシーズンが始まって明らかになったのは、そうした努力がまったく数字に結びつかず、かえって観客数の低下を見るという現実だった。
なぜJリーグの観客数は低迷を続けるのか。それは努力の方向性が間違っているからではないか。
多くのクラブでは、「収入が落ちたから」、観客を呼び戻すための工夫を始めたのではないか。仮にスポンサーやテレビ放映権からの収入が潤沢にあり、入場料収入など取るに足らないものであったら、観客数の低減など気にも止めなかったのではないか。
もちろん、収入を増やすことはプロのクラブとしては当然の努力目標だ。だがそれより何より、「満員のファンの前で選手たちにプレーさせたい。ひとりでも多くの観客に試合を楽しんでもらいたい」という気持ちが必要ではないか。求められているのは、何よりもファンやサポーターなど観客の立場に立った試合運営であるはずだ。
4月16日、川淵三郎チェアマンは夫人を伴って市原の自由席で試合を見た。1人2000円の当日券を買っての入場だった。
だがその数日前、開幕日のスタジアムで、Jリーグの役員とクラブの首脳数人が暖かそうな本部運営室でお茶を飲みながら談笑している光景を見た。
晴れてはいたが外には冷たい風が吹き、キックオフを前にスタンドは半分も埋まっていない。だがその部屋には「危機感」のかけらも感じられなかった。
そんな場所にいていいのか。スタジアムの外に出かけ、少なくとも駅から歩いてみるべきではないか。
ファンの表情は期待で輝いているか。スムーズに入場できるか。自分の席に迷わずたどり着けるよう、場内の案内は足りているか。観客席は清潔で座り心地がいいか。売店やトイレの数に不満はないか。そして何よりも、試合をきちんと見ることができるか。
スポーツだから、いつもエキサイティングな展開になるとは限らない。ホームチームがいいところなく負けるときもある。しかし運営面は、いつも良くなければならない。試合ごとに、そしてシーズンごとに良くなって観客の満足度を増していかなければならない。そうするためには、あらゆる種類の観客の立場になって試合を見る努力を怠ってはならないのだ。
「努力」がすぐに実を結ぶとは限らない。しかし今季を前に各クラブが実施したいろいろなアイデアが、本当に観客の立場を考えてのものだったか、見直す価値はある。ファンの心をとらえることのできない施策をいつまでも続けるのは逆にマイナスだからだ。
入場券を買えとは言わない。しかしあえて寒風のゴール裏に夫人と座った川淵チェアマンの気持ちを、Jリーグの全関係者が共有しなければならない。
(1997年4月21日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。