サッカーの話をしよう
No.189 サッカーくじ議論の前にスポーツ政策を
長い間、話題になっては消えてきた「スポーツ振興くじ」の法案が、4月25日に超党派の「スポーツ議員連盟」の手によって国会に提案され、今週中にも成立する見通しだという。
結論から言えば、サッカーに関係する者として「Jリーグへの関心が高まる」と手放しで喜ぶ気にはなれない。法案提出までの経緯があまりに「ご都合主義」であり、さらに、集める資金の使途にまったく具体性がないからだ。
「現在の国庫では、スポーツ振興政策をこれ以上拡大することはできない。誰もがスポーツを楽しむ環境を整えるためにも、まったく新しい財源が必要」
これが今回の「スポーツ振興くじ」、具体的にいえばJリーグの試合結果を当てる「サッカーくじ」法案の主旨だと思う。
だが90年代のはじめから熱心に研究されてきたこの法案の提出がここまで遅れた原因は、「選挙」の存在だ。新しいギャンブルの創出、それも青少年に人気のある競技の勝敗を当てる「サッカーくじ」。青少年の射倖心をあおるなどと、話が始まった当初から反対の声が多く、選挙が近づくたびに、推進してきた議員たちは「知らん顔」を通してきたのだ。
そしてその間にも、議論らしい議論はまったく行われてこなかった。今回正式に法案が提出されたのは、議論が熟し、結論を出す時期にきたからではない。ただ次の「選挙」までに時間がある(ことにしている)からにほかならない。
21世紀の日本の社会を考えるとき、スポーツの振興、ことに「生涯スポーツ」の環境を整えることは非常に差し迫った課題である。誰もが気軽にスポーツを楽しめる「スポーツ享受権」とでもいうべきものが施設の充実で保証されない限り、日本という国は衰退の一途をたどるだろう。
「スポーツ議員連盟」の人びとがこのようにスポーツ環境整備の必要性を考えていれば、まず国庫からの財源確保に真剣に取り組むべきではないか。そういう動きはまったく見えない。
そして仮に国庫からこれ以上のものが望めず、「サッカーくじ」が「必要悪」(青少年への悪影響の危険性は当然存在する。スポーツ振興が進むことによって青少年にもたらされるプラスとのバランスが最大の問題だ)だとしても、肝心の「スポーツ振興政策」が具体的な「行動計画」として提示されない状況での「見切り発車」は、危険極まりないと言わざるをえない。
現在の日本のスポーツ環境は非常に貧弱だ。それは近代日本のスポーツ政策が学校と企業を中心としたものだったからだ。そこから一歩はみ出すと、スポーツを楽しむためには、金銭あるいは時間的に大きな犠牲を払わなければならない。「スポーツ振興」などという具体性のない「掛け声」だけで、この状況が改善されるわけがない。
みんながサッカーを楽しめるグラウンドがほしい。サッカーに限らない。野球やテニスやゲートボールなど、だれもが気軽に自分の好きなスポーツを楽しめる施設を、「こういう計画で整備します」という具体案なら、実のある議論ができるはずだ。
いま必要なのはそうした具体的な「行動計画」であり、そのためにいくら必要かを算出することではないか。そのうえで「サッカーくじ」による資金集めが必要という提案なら、多くの人の賛同を得ることができるだろう。
この国のスポーツ振興政策について、具体的な施策とそれにかかる費用について、徹底的な議論が、何よりも優先されなければならない。
(1997年5月12日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。