サッカーの話をしよう
No.202 日本代表の戦いに幸運あれ!
「グッド・ラック(ご幸運を祈ります)」
10年前、87年12月のトヨタカップの前夜、宿舎のホテルにFCポルトのトミスラフ・イビッチ監督を訪ねた。しばらく話して別れる前に、握手しながら私の口から出たのがこの言葉だった。
だが、南米チャンピオンのペニャロール(ウルグアイ)との戦いを前にしたベテラン監督は自信たっぷりだった。
「ありがとう。でも私のチームは、幸運を頼りにするチームではないよ」
ポルトガルの名門クラブFCポルトは、この年のヨーロッパ・チャンピオンズカップで西ドイツのバイエルン・ミュンヘンを下し、初めて「ヨーロッパチャンピオン」の座を獲得した。その優勝後に監督の座を引き継いだクロアチア人のイビッチは、スターぞろいのチームをうまくまとめ、この年もポルトガル・リーグの首位を快走していた。
イビッチの言葉には「おごり」はなかった。むしろすべての仕事をきちっとやり遂げてきたプロフェッショナルの「自負」が感じられた。
だが、一夜明けた東京はすさまじい天候だった。夜明け前から降り始めた雨は次第に強さを増し、午前9時を過ぎたころにはみぞれから本格的な雪に変わっていったのだ。
実は、この冬の国立競技場のピッチは悲惨な状態だった。当時は「冬芝」は導入されておらず、11月末にはすっかり枯れていた。前週の日曜には雪のなかでラグビーの試合が行われ、以後一週間は太陽を見ることのできない暗い12月だったのだ。
この朝の雨で水びたしになったピッチの上に、重く湿った雪が降り積もった。はっきり言って、サッカーなどできる状態ではなかった。だがいろいろな関係で試合を延期することは不可能だった。
降りしきる雪のなかで始まった試合は、雪の下に隠れた水たまりで思いがけなくボールが止まるなど、両チームともパスなどつなぎようもなかった。ひたすら前にけって前進していくだけだった。準備してきた高度な技術や戦術など、何の役にも立たなかった。
そうした試合でポルトは勝った。延長戦にはいってアルジェリア人のスターFWマジェールが放った30メートルのシュートは、前進していたGKの頭を超えてゴール前の泥沼に落ちたとき、そこに止まるように見えた。だが幸運なことに雪がボールを転がし、コロコロとゴールにはいった。それが決勝点となった。
ワールドカップ・アジア最終予選の開幕が目前に迫った。加茂監督は先週の木曜日に18人のメンバーを発表し、現在は最終調整にはいっている。
先週のJOMOカップでは疲れのピークにあるようだった選手たちも、こんどの日曜にはすばらしいコンディションで国立競技場のピッチに登場してくるに違いない。フラビオ・コーチをはじめとした強力なスタッフのプロフェッショナルな仕事が、選手たちを万全な形で送り出すはずだ。
加茂監督がつくり上げたチームは「幸運」がなければ勝ち進めないチームではない。技術的にも戦術的にも、そして精神的にも、しっかりと準備され、堂々と「フランス」への切符を勝ち取る力を備えている。
しかしサッカーという競技は、そして8試合、2カ月間の戦いのなかでは、何が起こるかわからない。87年のトヨタカップのような事態がないとは、誰にも言えない。
だから祈らずにはいられないのだ。
「グッド・ラック」。日本代表の戦いに幸運あれ!
(1997年9月1日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。