サッカーの話をしよう
No.203 美しいプレー伝えたTV技術
「ワールドカップ史上、最も美しいシーン」
こう呼ばれるプレーがある。70年メキシコ大会のブラジル×イングランド戦でのことだ。
前半10分、ブラジルが右から攻める。スルーパスを受けたジャイルジーニョがゴールラインとペナルティーエリアの交点まで進みセンタリング。中央に上がったボールにペレがジャンプして合わせる。完璧なヘディングシュート。ボールは正確に左隅に飛ぶ。スタンドの誰もが、着地しながらペレ自身も、「ゴール!」と叫んだ。
だがそこにはイングランドGKバンクスがいた。彼は最初右ポストのすぐ前にポジションを取っていたがセンタリングが飛んでいる間に素早くポジションを修正、ペレの体勢を見て右に跳んだ。そしてワンバウンドしてゴールにはいろうというボールを右手の手のひらではね上げ、バーぎりぎりに越えさせたのだ。
神業のようなゴールキーピング。止められたペレまでバンクスを祝福し、拍手を送ったほどだった。
27年も前の一シーンを思い出したのは、Jリーグのテレビ中継を見ていたときだった。
最近のサッカー中継では「アップ」の画像が異常に多い。好プレー後の選手のアップ、そして「プレーのアップ」。タッチライン際のカメラによる画像が、頻繁に使われるのだ。
1対1の争いの激しさ、瞬間的にボールを扱うテクニックなどは、たしかにわかりやすく、迫力がある。それがテレビ局の狙いなのだろう。だがフィールド内のポジション、他の選手との関係など、サッカーというチームゲームの「エッセンス」と呼ぶべきものは、これではまったく見ることができない。
たとえば、アントラーズの相馬がタッチライン際でいい形でボールを受ける。ビスマルクが寄ってくる。ここで画面は地上の「アップカメラ」に切り替えられる。詰め寄る相手DF、ビスマルクにボールをはたいてダッシュをかける相馬、リターンパス、センタリング。画面は夜空に舞うボールを追い、突然、誰かがヘディングする。
これでは、相馬とビスマルクとのパス交換のタイミングの絶妙さ、センタリングの正確さ、他の選手の詰め、相手DFやGKのポジショニングなどは、まったく見ることができない。
こうした画面は、スポーツニュースでもよくお目にかかる。迫力満点のシュートシーンがアップになるだけで、どんな形でゴールが決まったのか、さっぱりわからないのだ。
サッカーは格闘技ではない。1チーム11人の選手が織りなすチームとしての攻守、そのつながりやタイミングの妙こそ、テレビ中継で伝えなければならないものであるはずだ。
2002年にはワールドカップの「ホストブロードキャスター」として試合の中継画像を制作しなければならない。だがこんな状況では、94年アメリカ大会と同様「任せておけない」と、ヨーロッパ放送連合にもっていかれてしまう。
ペレとバンクスの見事なプレーが世界に伝わり、長く人びとの記憶に残っているのは、メキシコのテレビ局が、そのプレーの流れを切ることなく、移動するバンクスやヘディングにはいってくるペレの動きまで、ひとつの画面で余すところなく伝えたからだ。
あの美しいシーンが現在の日本の中継のようにアップにされていたら、バンクスのプレーの素晴らしさなど伝わらず、「ブラジル決定力不足」の評価で終わっていたかもしれない。そう考えてぞっとするのは、私だけではないはずだ。
(1997年9月8日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。