サッカーの話をしよう
No.204 中田英寿 けられたボールが彼の言葉
「こんなやつは、サッカーではなくボクシングかテニスをやればいい」
雑誌やテレビでのインタビューを見て、正直なところ私はなんどもいらだち、そう思った。
曰く、「チームが勝っても、自分が思いどおりのプレーができなかったら何の意味もない」。
曰く、「オリンピックやワールドカップなど何とも思っていない」。
だが、そうした言葉をまともに受け取るほうがばかだった。
日本代表のMF中田英寿(ベルマーレ平塚)は、日本サッカーの超エリートである。
1977年1月22日生まれ、20歳。93年に日本で開催された17歳以下の世界選手権(U−17)で日本代表のFWとして活躍し、95年は20歳以下の「ユース」代表、96年には23歳以下の「オリンピック代表」でともに世界大会に出場した。そしていまや、ワールドカップ発出場を目指す日本代表の攻撃の切り札になりつつある。3つの「年代別代表チーム」で世界大会に出場したのは、現在のところ中田ひとりである。
だが、オリンピック代表でもベルマーレでも、彼はもてる力をすべて発揮してきたわけではなかった。ある試合ではすばらしいプレーを見せたかと思うと、次の試合では心ここにあらずといった様子だった。
能力の高さは誰も否定はできなかった。だが選手としての評価はけっして高いものではなかったのだ。これまでの「スポーツマン」とはかけ離れた、少し風変わりな言動が原因だったのかもしれない。
見識の低いマスメディアが彼のそうした言動をもちあげて、「かっこいい新世代の旗手」のように扱うのを見て、私はうんざりする気持ちを抑えることができなかった。
だが、ことし五月に初めて日本代表に選出され、韓国戦でデビューしたとき、彼がつくり上げてきたイメージがまったくの「虚像」であることを思い知らされた。その印象は、試合を重ねるごとに強くなった。
先日のウズベキスタン戦では、彼自身の言葉とは裏腹に、技術と才能と情熱をチームの勝利のために捧げ尽くす「理想のサッカー選手」を見る思いがした。
中田はキックオフから終了のホイッスルまで戦い抜いた。感覚を研ぎ澄ませて相手守備の間隙をつくパスを送り、果敢にゴールに迫った。いったん相手ボールになれば、どこまでも追い詰めて守備をした。
まだ20歳。日本代表の加茂監督も「もっともっと伸びる選手だ」と太鼓判を押すが、その一方で「いま少し壁に突き当たっているようだ」ともらす。
「攻撃的MF」として、いわゆる「キラーパス」を出すだけでなく、ドリブルなどで積極的にペナルティーエリアにはいって得点を狙うプレーもどんどん出していかなければならない。そのふたつの役割を、絶妙の「ブレンド」でこなさなければならない。
だが、中田の前には、その壁を乗り越えるためのこれ以上ない舞台が開けている。ワールドカップ予選という、これ以上ない真剣勝負の舞台だ。
この予選を戦い抜いたとき、中田はカズの座を引き継ぐ新しい日本サッカーの「キング」になっているだろう。そして来年のワールドカップ後には、ヨーロッパの有力クラブが彼のために新しい「挑戦の舞台」を用意するに違いない。
インタビューで何を言おうと私はもう気にしない。サッカー選手は、グラウンド上のプレーで評価されなければならない。
両足から繰り出されるボールには、彼の意志が確実に込められている。けられたボールが、彼の本当の言葉なのだ。
(1997年9月22日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。