サッカーの話をしよう
No.207 地域密着忘れた的外れなJ批判
中央アジアでワールドカップ予選を追っているあいだにJリーグ第2ステージの優勝が決まっていた。
FIFA(国際サッカー連盟)による突然の予選方式変更の最大の被害者は、日本のJリーグだっただろう。第2ステージの大半を日本代表抜きで実施しなければならなかったうえに、盛り上がる終盤戦が予選と重なって影が薄くなってしまったのだ。このステージの観客数が平均で1万人を割ったといっても、大いに同情の余地がある。
こうした時期に、一部クラブの主要出資企業の長と呼ばれる人びとが続けざまにJリーグの運営理念を根本から批判し、否定するコメントを発したのは、あきれるばかりだ。
チーム名に企業名を入れさせないこと、当初の10から17クラブへと急速に拡大してきたことなどが批判の対象になっている。つきつめれば、Jリーグがプロ野球のようにならないことに腹を立てているのだ。
Jリーグ以前に、プロフェッショナルのチームゲームとして日本で成り立っていたのはプロ野球だけだった。6チームずつ2リーグの閉鎖的な組織。企業名を背負ったチームが、マスメディアと手を携えて運営してきたのがプロ野球だ。
とくに戦後の復興期に、プロ野球が果たした役割はすばらしいものだった。人びとに生きる力を与え、少年たちに夢を抱かせた。現在も男性社会では日常のあいさつ代わりになっているプロ野球は、20世紀後半の日本の文化の重要な一側面に違いない。
しかしそれは、いわば映画産業と同じような構造だった。「フランチャイズ」が強烈に意識されるチームもあるが、一般の人びととは遠い存在であり、何よりその他の野球組織やプレーヤーたちとは完全に隔離され、無関係だった。
Jリーグは、そうしたプロ野球のあり方とは正反対の考え方でスタートした。閉鎖的でなくすべての国内のクラブに加盟の道が開かれている。一般のプレーヤー、とくに若い世代の育成に積極的に関わっている。
何より違う考え方は、現在の日本のスポーツ環境の貧困さを大きな社会問題ととらえ、単にプロ興行を成功させるだけでなく、手軽に、身近に、いろいろなスポーツを、地域の人びとが楽しめる環境をつくることを目指している点だ。
「プロ興行」という面でプロ野球とJリーグの最大の違いは、前者が全国的なマスメディアとの提携に大きく依存している(だからチームを増やすことはできない)のに対し、Jリーグが「地方文化」的な要素が強いことだ。クラブは全国的な人気などなくていい。「ホームタウン」で成功しさえすればいいのだ。
こうした考えをよく理解して運営に取り組んできた鹿島アントラーズや浦和レッズは、大きな赤字をかかえることもなく、チーム数が増えても地元では満員の観客を集めている。そして「地域アイデンティティ」の象徴的な存在になりつつある。理想の姿にほまだ遠いが、着実に歩みを進めていると言っていい。
スタート直後の熱狂のなかでこの「原則」を忘れ、最近になって観客数の激減に苦しんでいるクラブの多くも、最近ようやく目覚めて、それぞれにホームタウンとの関係を深める取り組みを始めている。
これまでプロ野球はすばらしい成功を収めてきた。しかしその「ものさし」ですべてのプロスポーツが計れると考えるのは大きな間違いだ。この20世紀末の日本社会がかかえる問題点に目を開き、ほんの少しの想像力を働かせれば、Jリーグが目指すものの意味が少しは見えてくるはずだ。
(1997年10月20日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。