サッカーの話をしよう
No.209 忘れられないソウルの青いサポーター
まだ終わったわけではない。しかし何年かたって今回のワールドカップアジア最終予選を思い出すとき、必ず目に浮かぶに違いないひとつの光景がある。ソウルのオリンピックスタジアムを埋めた8000人もの日本人サポーターだ。
完全な「ホームアンドアウェー」形式で行われた今回の最終予選、サポーターはアラビア半島のアブダビから中央アジアのアルマトイ、タシケント、そしてソウルと動き回らなければならなかった。仕事を休み、安くない旅費を工面して、日本チームを応援するためだけに出かけた人びとには本当に頭が下がる。
アブダビや中央アジアでは、数自体は多いとはいえなかったが、スタンドで懸命に声を上げるサポーターの存在がどれほど選手に力を与えたか、計り知れないものがある。
だが、それにしても、ソウルは格別だった。
7万人のスタジアムに8000人では少ないと思うかもしれない。しかしそれがすべて片方のゴール裏に集められたため、予想を超える「力」が生まれたのだ。
予選の日程が決まったときから、11月1日の韓国戦が「山」と見られ、応援ツアーを組む旅行会社はパンク状態になった。
これまでの例では、旅行会社は試合の入場券は現地のエージェントを通じるなどして各社が独自に調達していた。だがこの試合にかけられるものの意味を考えると、今回は不安が大きかった。そこで、日本人観客と韓国人観客の間で無用なトラブルが起こらないように、日本の全旅行会社が韓国協会との窓口を一本化した。そしてセキュリティー計画と連動させつつ、席の割り当てなどを慎重に取り決めたのだ。
こうして、日本の8000人はひとつのゴール裏に集められた。そしてそれは思わぬ効果を生んだ。
赤で埋められたオリンピック競技場のスタンド。しかし一方のゴール裏には、青に染められた巨大な集団があった。
前週の日曜日にUAEと引き分けてからは、マスメディアではもう終わったかのような論調が支配的だった。国立競技場での一部のファンの心ない行為が、そうした空気を助長した。だが多くのファンはまだチームを見捨てていないこと、日本代表を信じていることを、8000人のサポーターはその存在自体で示した。
それが、どれだけ日本選手たちを勇気づけただろうか。1週間前、国立競技場では5万5000人が嵐のような声援を送った。しかしこの日の8000人が選手たちの体内に吹き込んだ力は、それをはるかにしのぐように私には感じられた。
そして日本はすばらしいゲームを見せ、勝利をつかんだ。
試合後には、また美しい光景があった。
厳重な警備の目をかいくぐって、韓国のサポーターが何人も日本のサポーター席にやってきたのだ。そして勝利を祝福し、プレーオフもきっと勝つと励まし、最後にはユニホームを交換し合ったという。
わずか1試合、90分間の試合を応援するために、これほど多くの人が海を渡ったのは、日本のスポーツ史上でも初めてのことに違いない。
それは、日本チームにすばらしい力を与え、貴重な勝利をもたらしただけではなかった。海を渡った8000人の多くが、韓国の生活や文化に触れ、韓国の人びとと接して、楽しく美しい思い出とともに帰国した。
予選はまだ続いている。しかし私にとっては、ソウルのスタジアムの8000人の青い集団が、今予選で最も印象的なシーンになるように思えてならないのだ。
(1997年11月10日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。