サッカーの話をしよう
No.212 中山雅史 理想像に近づいた選手
97年の実質的な「日本チャンピオン」を決めるJリーグのチャンピオンシップ。その勝負をつけたのが「ゴン」中山雅史(ジュビロ磐田)のゴールだったのは、この波乱に富んだ1年を見事に象徴していた。
ワールドカップ予選以降の中山のプレーには、鬼気迫るものが感じられた。1−5で完敗したナビスコ杯決勝でも、冷静さを失ったジュビロ選手たちのなか、中山だけは最後の1分まで集中し、役割を100パーセント果たした。
この試合のジュビロの1点は、左サイドを突破した中山のパスを若い清水が決めたものだった。そのときのドリブル突破と冷静なパスは、技術、判断力などサッカープレーヤーとしての能力のすべてを、中山が短期間のうちにこれまでにないレベルに高めたことを表していた。
Jリーグチャンピオンシップの2試合でも、中山はすべての動き、すべてのプレーに自分の「刻印」を押し続けた。3つのゴールだけでなく、ピッチにはいってから更衣室に引っ込むまですべての瞬間に、「ゴンがいる」ことを示した。それは、サッカープレーヤーとしてひとつの「理想像」のように見えた。
チームゲームでしかありえないサッカー。ひとりの天才選手も、11人の団結には太刀打ちはできないのがサッカーだ。
しかしそれは、選手たちに「ロボット」になることを強いるわけではない。監督やコーチのプログラムどおりに動くだけでは、「いい選手」にはなれても、けっして「素晴らしい選手」と呼ばれることはない。
なぜか。それは、サッカーというチームゲームが、同時に、「自己表現」を強く要求しているからだ。
サッカーが世界中でこれほど多くの少年たちの心をとらえているのは、おそらく、それが自分の情熱を表現する最高の手段だからに違いない。ゲームのなかで自分をさらけ出し、表現することを求められているのがサッカーなのだ。
そして、自己をフルに表現することによって仲間を勇気づけ、チームを勝利に導く能力をもった者だけが「素晴らしい選手」と称賛される。
自分をさらけ出す以上、サッカーは「全人格」を問われるスポーツと言わねばならない。人間として成長し、自らの壁を乗り越え続けていくことが、選手としての成長につながる。だからこそ、中山のように「理想像」に近づいた選手たちのプレーが、あれほど感動的なのだ。
97年の日本代表には、中山のほかに何人もの「素晴らしい選手」がいた。
ディフェンダーとして新境地を開いた秋田豊(鹿島アントラーズ)。自らのキャプテン像をつくり上げた井原正巳(横浜マリノス)。短時間に自己を表現し尽くした北沢豪(ヴェルディ川崎)。そしてすべての責任を引き受けて相手に毅然と立ち向かい、けっして逃げることのなかった三浦知良(ヴェルディ川崎)。
どの選手も、自らの情熱を余すところなくプレーに投影させた。チームプレーに徹するなかで、見事に自己を表現してみせた。
1997年は、ワールドカップ出場を決定し、日本サッカーにとって喜びに満ちた年となった。
しかしそれ以上にうれしかったのは、中田英寿(ベルマーレ平塚)という若いタレントが大きく力をつけたこと、そして、何人もの日本代表選手がピッチの上で素晴らしい人間性を表現し、選手の「理想像」に近づいたことだった。
Jリーグにとっては苦痛に満ちた年だった。しかし日本サッカーにとっては豊かな実りの年だった。
(1997年12月22日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。