サッカーの話をしよう
No.214 伊原正巳 重ねたキャップの重み
首位はアメリカのバルボアで123。スビサレッタ(スペイン)が121で続き、3位はカリギュリ(アメリカ)で114。そして第4位に日本のキャプテン井原正巳、110。
6月10日に開幕するワールドカップに出場予定選手の、「国際Aマッチ」出場試合数ランキングだ。ワールドカップでは4位のチームまでメダルが出るから、井原は「堂々銅メダル」ということになる。
「国際Aマッチ」とは、ナショナルチーム同士の公式国際試合。FIFA(国際サッカー連盟)に届けを出し、主催協会は収益の2%を納めなければならない。ワールドカップ予選のような試合だけでなく、親善試合も含まれる。ただし、日本代表チームの試合でも、昨年8月に行われた「JOMOカップ」のような試合や、クラブチームを相手にする場合は、「国際Aマッチ」とはならない。
この「Aマッチ」の出場総数が100を超えるのはなかなか大変だ。サッカー史上初の国際試合は1872年のスコットランド×イングランドだったが、以後125年の間に、100試合出場を達成したのは三十数人にしかならない。井原は、日本人初の100試合出場を昨年6月25日のネパール戦で達成した。
ところで、イングランドでは、この「国際Aマッチ出場数」を「キャップ」と呼んでいる。「野球帽型の帽子」のことだ。国際試合に出場するたびに、記念の帽子をひとつずつ与える慣習があるからだ。
そもそもは、17世紀にチーム分けのために帽子が用いられたのが始まりだった。その後、帽子はユニホームの一部となり、カラフルになったが、19世紀のなかばに近代的なスポーツとしてサッカーが成立したころには、試合中はかぶられなくなっていた。
国際試合出場の名誉を記念するものとして帽子を授与しようという提案は、イングランド協会のN・ジャクソン氏によって1886年に行われ、ただちに採用された。「白い絹の帽子に赤いバラの刺しゅう」というジャクソン氏の提案は、「ロイヤルブルーのビロード帽」になったが、出場した試合の対戦相手名がはいった。以来、「キャップ」という言葉には、「国際試合への出場」という意味がつけ加えられた。
現在FIFAが認定している「最多キャップ」は、80年代に「砂漠のペレ」と呼ばれたサウジアラビアのマジェド・アブドラー。なんと147もの試合に出場している。
近年、国際試合の数は増加傾向にあるが、それでも年間10試合を超すのは特別なケース。16歳でデビューして30歳で引退するまで14年間もブラジル代表で活躍したペレでさえ、93試合にしかならなかった。ランキングの上位に長期間のプレーが可能なGKが多いのは当然だ。
さらに日本は、ほんの7年ほど前までヨーロッパや南米の代表チームと対戦してもらえず、プロとの対戦経験を積むためにクラブチームを相手にすることが多かった。235もの日本代表ゲームに出場した釜本邦茂も、Aマッチは75にしかならなかった。
井原は89年1月のUAE戦で日本代表にデビューし、その年内に22試合も日本代表として出場したが、うちAマッチはわずかに4。日本代表の試合相手がアジアであろうとヨーロッパであろうと代表チーム中心になったのは、92年からのことだ。
デビュー10年でキャップ数が110となり、ワールドカップへの出場も決めた井原。積み重ねてきた年月と経験は、フランスで日本の大きな力となるだろう。
(1998年1月12日)
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