サッカーの話をしよう
No.221 ワールドカップの名称に込めた思い
「ムンディアル」
広報担当の女史は、受話器を取り上げると、すました尻上がりの発音でそう言った。スタジアムの取材許可証をもらいに事務所を訪れていたカメラマンの富越正秀氏と私は、思わず顔を見合わせた。
1977年6月。私たちは1年後に迫ったワールドカップ・アルゼンチン大会の事前取材をしていた。ふたりともアルゼンチンだけでなく南米大陸は初めて。スペイン語でワールドカップのことを「コパ・ムンディアル」というのは知っていた。だが「世界の」という意味の形容詞である「ムンディアル」が、それだけで通じる名詞になっているとは思いもよらなかった。
ブラジルに行くと、こんどは「コッパ」だ。正式には「コッパ・ド・ムンド」なのだが、こちらでは「コッパ」だけが残り、「ワールドカップ」の意味で使われている。
そういえば、3年前にワールドカップが開催された西ドイツでは「ヴェルトマイスターシャフト」(世界選手権)と呼ばれ、大会略称は「WM74」だった。「ワールドカップ」といっても、いろいろな呼び方がある。考えてみれば当然なのだが、アルゼンチンで、改めて私たちはそう思った。
日本サッカー協会がFIFA(国際サッカー連盟)に加盟したのは1929年のこと。翌年の第1回ワールドカップには参加せず、初めてエントリーしたのは38年の第3回フランス大会のことだった。しかし日中戦争が本格化し、棄権を余儀なくされた。
その当時、ワールドカップは「世界杯」と紹介されていたようだ。しかし戦後になると、「ワールドカップ」という言葉がカタカナで使われるようになった。大先輩のジャーナリストによれば、わかりにくいので「ワールドカップ(世界選手権)」と注釈つきで書いたこともあったという。
しかし1970年代、私がこの仕事を始めたころには、新聞では「W杯」が幅をきかせるようになっていた。新聞の文字が大きくなって文字数を減らさなければならない時期だった。できるだけ短く書こうという工夫からの表現だった。
そんな時期にサッカー専門誌の駆け出し編集者だった私は、ある日、編集長にこっぴどく叱られた。原稿のなかで「W杯」という表現を使ったためだ。
「ワールドカップは、世界でいちばん大きなスポーツの大会で、オリンピックよりも大きいんだ。ワールドカップの本当のすごさを日本人に伝えるのも、僕たちの大事な仕事なんだ。だから名前も大事にしなければならない。W杯なんて書くのはもってのほかだ」
返す言葉もなかった。以来、私は、どんなときにも「ワールドカップ」と7文字を使って書いてきた。
ところが、最近の新聞や雑誌では、大半が「W杯」になっている。テレビでは「ワールドカップ」と言っているが、会話のなかでは「ダブルはい」と言う人が驚くほど多い。完全に活字の影響である。
NHKでは、4年前のアメリカ大会のときには「ワールドカップ・サッカー」というとんでもない名称を使っていた。
たしかに、現在はスキーやバレーボールにも「ワールドカップ」がある。しかしそれは1970年代につけられたもの。競技名をつけずに英語で「ワールドカップ」といえば、サッカーに決まっているのだ。
些細なことと思うかもしれない。しかし名前を軽視してはいけない。「名は体を表す」という。「ワールドカップ」という言葉に込められた世界の人びとの思いを、軽んじてはいけないと思う。
(1998年3月30日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。