サッカーの話をしよう
No.223 すばらしき「ワールドカップ人生」(自転車家族)
1994年7月17日、ワールドカップ・アメリカ大会決勝の日。ロサンゼルス郊外パサデナのローズボウル・スタジアムの周りの広大な敷地には、世界中からのファンが「最終決戦」に胸をときめかせながら歩いていた。
サンバのリズムを轟かせて、ブラジルのサポーターがやってくる。先頭はカーニバルのような派手なかっこうをした女性ダンサーたちだ。情熱的な踊りを披露する周囲にはカメラマンが群がっている。
そうした喧騒の一角に、小さな人だかりがあった。近づいて見ると、思いがけない「再会」があった。
彼らに初めて会ったのは四年前、イタリアのトリノのスタジアム前だった。鉄パイプを組み合わせた海水浴場の監視塔のようなものがある。よく見ると、それは高さ3メートルもの巨大な2人乗り自転車だった。その前に、誇らしげな顔をした彼らがいた。
聞くと、メキシコから新婚旅行を兼ねてやってきたカップルだった。4年前、86年のワールドカップ・メキシコ大会でブラジルの試合を見にいったときに知り合ったという。4年間の交際が実ってゴールイン。新婚旅行は、当然、ふたりの「縁結び」となったワールドカップにしようということになった。
しかし、ただツアーで行くのは面白くない。思い出に残る新婚旅行にしようと知恵を絞った。その結果、巨大な自転車をつくり、それに乗ってイタリア中を回りながら観戦しようということになったのだ。
ふたりは若々しく、新婦はまだ少女のようだった。彼らのあまりに楽しい「新婚旅行計画」を聞いて、私は思わず顔がほころぶのを覚えた。
その彼らに、4年後また会えるとは思ってもいなかった。ふたりの背後には、色は塗り替えられたものの間違いなく4年前と同じ自転車があった。
ふたりとも確実に4つ年をとり、初々しさはなくなっていた。だがそれだけではなかった。足元には、おもちゃの自動車に乗って無邪気に遊ぶ少年がいた。彼らが大好きなブラジル代表チームのユニホームを着た少年は、もちろん、ふたりの子供だった。
裕福な家庭のぼんぼんとお嬢さんではないことは明白だった。ふたりはインスタントカメラで「名物自転車の前に立つファン」を撮り、その写真を買ってもらって旅費の足しにしていたのだ。だがその表情は、苦労などひとかけらもないほど明るかった。
86年メキシコ大会で出会った少年と少女は、4年後に結婚してハネムーンの場所として90年イタリア大会を選び、94年には3人の家族となってアメリカ大会にやってきた。見事なまでの「ワールドカップ人生」ではないか。
4年にいちどのワールドカップ。それを楽しみに生きているファンが世界中に無数にいる。4年間を「1ワールドカップ年」と数えて、その単位で人生を送っている人も少なくない。
日本も例外ではない。若い勤め人だと2週間の休暇など許可してもらえないから、4年ごとに職を変える過激な人も、珍しくはないほどだ。
ワールドカップの何が、人びとをそれほど引きつけるのだろうか。簡単に応えられる問題ではない。だがこれだけは言える。
「こうした世界中のファンの思いの上に、ワールドカップがある。ワールドカップを価値あるものにしているのは、こうした無数のファンの情熱なのだ」
ことしもフランスのどこかで、あの自転車と、7歳を頭に何人かの子供を連れたふたりに会えるだろう。
1990年 イタリア・ワールドカップにて
1994年 アメリカ・ワールドカップにて
1998年 フランス・ワールドカップにて
(1998年4月20日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。