サッカーの話をしよう
No.224 ワールドカップの伝説 クライフの妙技
まさに、「またたく間」の出来事だった。
左タッチラインぎわでゆったりとボールをもった彼は、次の瞬間、マークする相手DFを置き去りにし、鮮やかに縦に抜け出していた。それが、私の初めての「クライフ体験」だった。
1974年6月、ワールドカップ西ドイツ大会。その春に大学を出て、サッカー専門誌を出す出版社に入社したばかりの私は、この大会を取材できるなどとは夢にも思っていなかった。実際のところ、就職にあたっての私の最大の目標は、4年後のアルゼンチン大会に行くことだったのだ。
だが、当時編集部のチーフをしていたH氏が会社にかけ合ってくれ、特別に2週間の休暇をもらえることになった。大会の前半だけ見たら帰ってきて、雑誌づくりに専念するという条件だった。まだ貯金などなかった私は父から借金して旅費を工面し、胸を躍らせて羽田空港から飛び立った。
初めての海外旅行。初めてのワールドカップ。何もかもが新鮮で、驚きの連続だった。そして大会1週間目の6月19日、ドルトムントでのオランダ×スウェーデン戦がやってきた。
この大会のスタジアムは大半が陸上競技との兼用だったが、ドルトムントはサッカー専用で、最高の雰囲気だった。ゴールのスタンドは1万人を超すオランダからのファンで埋まり、オレンジ色に染まっていた。だがフィールドのなかのサッカーはそれ以上に素晴らしく、私を圧倒した。
オランダはこの大会で注目のチームだった。初戦はスピードに乗った攻めでウルグアイを圧倒して2−0の勝利。FWで主将のヨハン・クライフを中心としたチームは、その1試合だけで「優勝候補の最右翼」の評価を固めていた。
この日の第2戦は、相手のスウェーデンも奮闘し、素晴らしい試合になった。だが、やはり驚きはオランダとクライフのプレーだった。そしてそのハイライトとなったのが、クライフの突破だった。
前半のなかば、クライフは相手陣内で左タッチ際に開いてパスを受けた。上体をすっと立て、右足の前にボールをもってフィールド全体を見回す。万全の態勢だから、マークの相手DFもうかつに当たることができない。クライフは左足を踏み出し、右足で逆サイドへパスを送ろうとする。それを妨害しようと懸命にタックルにはいるDF。
だがクライフは右足をボールの横で止め、足首を返してインサイドでボールを左足の後ろに通し、一気にスピードを上げて縦に抜け出す。そして右足アウトサイドの鋭いセンタリング。シュートはわずかに外れたものの、流れるようなクライフのプレーに、しばらくは拍手が止まなかった。
私が座っていたスタンドの目の前、ほんの15メートルほどの距離でのプレーだった。クライフの右足首が返ったとき、一瞬、私はキラっと光るものを見た気がした。それは彼のシューズの真っ白なクツ底だった。まるで、静かな湖面に、突然、銀鱗を光らせて魚が飛び跳ねたような印象だった。
オランダは決勝戦で西ドイツに負け、優勝はならなかった。しかし、現在もなお「あのオランダを上回るチームは出ていない」と言われるほどの、伝説のチームとなった。
そしてクライフのあのプレーも、「クライフ・ターン」と名付けられる伝説のプレーとなった。いまでも世界中の少年たちが、真似をしようと一生懸命に練習しているほどなのだ。
ワールドカップは伝説を生む。そしてその伝説がその後の世界のサッカーに想像力と夢を与え、発展の原動力になっていくのだ。
(1998年4月27日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。