サッカーの話をしよう
No.225 伝説のカメラマン 真実の瞬間
ワールドカップ決勝戦。世界の十数億人が見守る舞台に出ていくことを許されるのは、両チームの選手、役員と審判団。そして、両ゴール裏に陣取る百数十人のカメラマンだ。
78年アルゼンチン大会の決勝戦は、地元アルゼンチンとオランダの間で争われた。出場国でもない日本に割り当てられたカメラマンのビブス(ゴール裏への入場を許されたことを示すために、試合ごとに配付された)はわずか2枚。十数人の日本人カメラマンは決勝戦の前日に話し合いを行い、クジで3人の当選者を決めた。うち2人は、ハーフタイムにビブスを交代することにしたのだ。
そして私が編集していた雑誌のカメラマンのひとりが引き当てたのは、その前半だけのビブスだった。
雑誌をつくるためには写真が必要だ。前半だけの写真で、どうやってページを組めばいいのか。私はひどくがっかりした。その失望が怒りに変わったのは、決勝戦の試合前だった。
報道陣の控室で見たのはなつかしい顔だった。1年前にアルゼンチンの事前取材をしたときに、地元組織委員会の広報部で会った白髪の老人だった。スタジアムの取材許可をもらうために、広報部には何日も通わなければならなかったのだが、その老人はいつも部屋の窓際で暇そうな顔をしていた。そのときにはなんとなく引退したジャーナリストだろうと思っていた。
ところが、1年後のワールドカップ決勝戦の直前に見かけたその老人は、あろうことか、ビブスを着けているではないか。しかも機材らしきものは首から下げた小さなカメラ1台だけ。とっくに現役を終えたカメラマンが、コネを使ってビブスを手に入れたに違いない。なつかしさは、一気に怒りに変わった。
だがそれはまったくの誤解だった。帰国後、アルゼンチンからきた雑誌をめくっていた私は、大会の「最優秀写真賞」を得たという作品と、撮影者の写真に驚いた。それはまさにあの白髪の老人だったのだ。
彼が撮った写真は「魂の抱擁」と名付けられた見事な1枚だった。地元アルゼンチンの初優勝が決まった瞬間、アルゼンチンのゴール前でGKフィジョルとDFタランティニがひざまずいて抱き合っている。そこに走り寄るひとりのファン。だがよく見ると、彼には両腕がなく、セーターの袖の部分がだらりと垂れ下がっている。彼は選手たちに抱きつくことはできない。しかし気持ちのなかでは、しっかりと抱きしめていたに違いない。
後から知った話では、その老人は、ドン・リカルド・アルフィエリというアルゼンチンの伝説的な名カメラマンだった。彼はアルゼンチンのスポーツ史と切っても切り離せないたくさんの名作を残していた。そのひとつがこの「魂の抱擁」だった。
私は物事の表面しか見ない自分を恥じた。小さなカメラ1台でも、天才は「真実の瞬間」を切り取り、多くの人に感動を与えることができるのだ。
ところで、私の雑誌はどうなったのか。この決勝戦では、フィールドに降りられないカメラマンのためにスタンドの最前列に特別席が作られた。そして、アルゼンチンの先制ゴールを決めたマリオ・ケンペスが、得点の直後、まさにその席にいた私の雑誌のカメラマンに向かって両手を上げて走ってきたのだ。もちろんその写真はすばらしいもので、見事に雑誌の巻頭を飾ることができた。
ワールドカップ決勝。4年間にわずか1試合しかない世界最高の舞台。カメラマンたちにも、無数のドラマがある。
(1998年5月11日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。