サッカーの話をしよう
No.231 エマニュエル・プティ フェアプレーの価値
フェアプレーの精神は死んだのだろうか。
相手選手がケガして倒れたままなのを見たら、タッチラインの外にボールを出してプレーを止める。サッカーでは「常識」といっていい行為だ。しかし今回のワールドカップでは、そのフェアプレーに対する「お返し」がおかしなチームが多かった。
これまでなら、スローインを相手に渡してゆっくりと試合を再開していた。しかし今大会では、スローインを味方につなぎ、大きく相手陣奥のタッチラインにけり出すプレーが目立った。そして相手のスローインにプレッシャーをかけていく。いわば「恩をあだで返す」形なのだ。
フェアプレーはワールドカップにとって重要な要素だ。FIFAも「フェアプレー賞」を設け、6月21日には「FIFAフェアプレーデー」のイベントも行われた。試合前には、少年少女の手でフェアプレー旗が運び込まれ、フィールド上に示された。フェアプレーのオンパレード。しかし試合のなかでは、アンフェアーな行為が続出した。
ファウルされてもいないのに、あるいは少し接触しただけなのに、PKを狙って倒れる「ダイビング」。守備側では、1対1の競り合いで相手の腕やシャツをつかむ行為が横行した。さらに、胸を突かれたのに、顔面を覆って大げさに倒れ、相手を退場に追い込んだ卑劣な行為もあった。
フランス98は、すばらしいプレーがあった反面、何より勝利が優先し、勝つためなら何でもするという「ゲームズマンシップ」が支配した大会だった。
しかしそうした殺伐とした雰囲気のなかで、本物のスポーツマンとしての行為、フェアプレー精神を見る思いがしたこともあった。準々決勝での、フランスのMFエマニュエル・プティの行為だ。
開催国として、何が何でも勝たなければならないフランス。イタリアは、相手のそんな心理を見透かし、徹底的に守りを固めてカウンターアタックを狙った。得点できなくても失点さえしなければ、PK戦で五分五分の勝負に持ち込むこともできる。それがイタリアの計算だった。フランスは攻め切れず、無得点まま延長戦の終盤を迎えていた。
延長後半14分、フランスが右CKを得る。最後のチャンスかもしれない。キッカーはプティ。左足の鋭いキック。しかしゴール前でイタリアのディビアジョにオーバーヘッドキックでクリアされる。
そのボールをフランスが拾い、右タッチライン沿いに帰ってきたプティに戻される。再びゴール前に入れようとするプティ。だが長い髪を後ろにたばねた長身のMFは、急に動きを止める。イタリア・ゴール前で、ディビアジョがまだ倒れたままなのだ。
そのままボールを入れたら危険だ。プティは何の迷いもなく、平然と左足のヒールキックでボールをタッチラインの外に出した。
ワールドカップの勝利は、名誉のためだけのものではない。人生を左右する名声と、金銭的成功をもたらすのだ。だからどんな犠牲を払っても王座に近づこうとする。
しかしそうした「大勝負」だからこそ、そこで示されるフェアプレー精神あふれる行為は、優勝カップに勝るとも劣らない価値をもつ。プティの行為こそ、スポーツマンとしての本物の勇気の証明だ。
当然のことながら、イタリアのサポーターのみならず、フランス人のファンからも、プティに対して盛大な拍手が起こった。
私も少し安心した。フェアプレーの精神は、死に絶えてはいなかった。
(1998年8月5日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。