サッカーの話をしよう
No.232 ルイスフラビオの功績
「同じ仕事をしているほかの代表チームの連中から、日本はフィジカル面で非常にいい仕上がりになっているとほめられた」
3年半にわたって日本代表のフィジカル面を担当してきたフラビオ・コーチ(49)は、ワールドカップ・フランス大会でプロらしい仕事ができて満足そうだった。
他国のコーチたちの言を待つまでもなく、フランス大会での日本代表はすばらしいコンディションに仕上がっていた。それがはっきりと出たのがクロアチア戦だった。快晴、35度の猛暑のなかで、日本の動きはキックオフからタイムアップまでまったく落ちなかった。世界の強豪をあと一歩まで追いつめることができたのは、完璧なコンディションのおかげだった。
大会直前に井原がヒザを負傷するという事故があった。しかしドクターをはじめとした支援スタッフの努力もあり、なんとかアルゼンチン戦に間に合わせた。この間、リハビリのトレーニングを指導しながら精神面で井原を支えたのがフラビオだったという。
そのフラビオが今週はじめにブラジルに帰国した。日本協会との契約が7月いっぱいで満了したためだ。
フルネームはルイス・フラビオ・リベイロ・ボォンゲルミーノ。91年にヴェルディ川崎のフィジカル・コーチとして来日し、95年からは日本代表で加茂監督、そして昨年10月から岡田監督を補佐してきた。7年間の日本生活に、一応のピリオドを打ったのだ。
「日本では、ジュニアチームから筋力トレーニングを入れているところが少なくないが、それよりも、もっともっとボールを使って能力を高めるトレーニングをしなければならない」と語るフラビオ。
日本代表でも、フラビオのトレーニングの大半はボールを使って行われていた。「追い込み」が必要なときにも、ただ走らせるのではなく、ドリブルやシュートを入れ、サッカー選手としてのの技術や能力をアップさせながら、その実、かなりきついトレーニングをさせていた。
94年に日本代表の指揮をとったファルカン監督は、同じブラジル人ながら「日本選手はフィジカル能力が低すぎる」と嘆いた。
しかしフラビオは「日本人がフィジカル面でとくに劣るわけではない」と主張する。「それよりも、選手たちが自信をもってプレーすることが大事だ」。彼自身、「ヨーロッパとそれほど大きな差があるわけではない」ことをワールドカップで痛感したという。
91年からの7年間でいちばん記憶に残るのは、やはり、昨年11月、ジョホールバルでのあのイラン戦だったという。ワールドカップ出場を決めたというだけでなく、内容的にも印象的な試合だった。
実はこの試合、フラビオ個人にとっても長年の夢をかなえるものだった。81年、クアラルンプールで行われたワールドカップ最終予選で、サウジアラビアが中国に2−4で敗れた。そのときのサウジアラビア代表のフィジカルコーチが、フラビオだった。
「同じマレーシアで日本がイランを破った。日本代表チームが私に、16年前に逃したワールドカップ行きのチャンスを与えてくれたのだと思う。人生もサッカーも同じだ。負ける日もあれば、勝つ日もある」
できれば日本でもう少しフィジカルコーチとして働きたいと語る。日本のサッカーのために、自分ができることがまだまだあると信じているからだ。遠くない将来に、どこかのJリーグのクラブのベンチで、フラビオの穏やかな笑顔に再会したいと思う。
(1998年8月12日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。