サッカーの話をしよう
No.234 成岩SC 地域ぐるみのクラブ
「真ん中の丸がクラブ。それを地域、学校、行政の三者が育てることを示しています。中学校の美術の先生のデザインなんです」
クラブマーク旗の前で、半田市教育委員会の榊原孝彦さん(38)はていねいに説明してくれた。
8月の日曜日、Jリーグの「ホームタウン委員会」の視察にぶら下がって、愛知県半田市の成岩(ならわ)スポーツクラブを訪ねた。
成岩スポーツクラブは、新しい形の「日本型地域総合スポーツクラブ」だ。地域にある学校の施設を舞台に、地域の人々が小学生から中学生までの13種目のスポーツスクールと、高校生以上の13種目のサークルを運営している。
「学校開放」を利用したスポーツ活動ではない。学校の施設を「家」とし、小学生の各スポーツクラブを統合し、中学校の部活動の一部を移行し、成人のサークルまで団体ごと取り組み、地区総人口1万8000人の約13パーセントもが係わる「総合スポーツクラブ」なのだ。成岩中学校には「クラブハウス」があり、指導を含めクラブ運営はすべて地域の人々にまかされている。
その設立推進役が、この成岩に生まれ、国語教師として成岩中学サッカー部の指導をしていた榊原さんだった。1年365日休みなしの部活動が、果たして子供のためなのか、疑問を持ち始めていたのだ。
周囲を見回すと、指導者の個人的な情熱に支えられてきた小学生のスポーツクラブも、指導者の高齢化などの悩みがある。それならば、地域の人が子供たちのスポーツ活動を助けたらどうか。一貫指導も可能になるし、子供たちには、複数の競技に触れ合うチャンスや、家族と過ごすゆとりも生まれる。
94年6月、榊原さんは成岩地区の「少年を守る会」とともに「スポーツタウン構想」を打ち上げる。当時の加藤良一・成岩中学校校長が深い理解を示して部活動を「自由加入制」に変え、活動も週3回に制限してスポーツの「社会化」への後押しをした。少年少女のスポーツ指導を40年以上にわたって続けてきた佐々木悟さんは、各クラブの指導者を説き伏せてくれた。そして96年3月に成岩スポーツクラブが発足する。
中学生までは「スクール」形式だ。クラブには世帯ごとの加入が原則で、家族ぐるみでスポーツに参加することができる。活動が始まると、地域の人々はすぐにその良さを理解し、認めた。
子供たちに、地域の人々が関心を払うようになった。小中学生で縦のつながりができた。中学生が主体的に自分の生活スタイルを選択できるようになった。そしてボランティアで指導にあたる人たちも、同じクラブ内で他の種目の指導者と交流するなかで、スポーツ観が広がった。
事業の大半を会費でまかなわなければならない、施設の貧弱さなど、課題はある。だがクラブはしっかりと根付き、周囲からも高く評価されるようになった。
老朽化した成岩中学校体育館の新築を予定していた半田市は、地域の要望を受けてそれを「成岩スポーツセンター」建設計画に変えた。1階にクラブ施設を置き、2階が学校の体育館という画期的な施設が数年後に誕生する。
半田市は、市内の他の四地区にも同じような「地域総合スポーツクラブ」をつくろうと、この春、榊原さんを教育委員会に呼んだ。
竹内弘・半田市長はこう力説する。
「学校施設は、学校というより地域の人々のもの」
その施設を地域の人々が自主的に使い、子供からお年寄りまで楽しく手軽にスポーツに取り組める半田市をつくることが、榊原さんの新しい仕事だ。
(1998年8月26日)
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