「現在の世界では、60から70もの国の代表チームが近いレベルにある」
「ブラジルやフランスを除いての話ですね」
「いや、ブラジルもフランスもその一団のなかだ。たとえばスロバキアの代表チームは、ブラジルやドイツを破る可能性をもっている。と同時に、キプロスやマルタに負けても不思議ではない。そして日本ももちろん、そうした60、70の国のひとつなんだよ」
ミラン・レシツキさん(53)は熱っぽく語った。国境を越えて指導者が動き、選手が動き、そしてテレビを通じて情報はあっという間に世界の隅々にまで伝わる。もはやサッカーに秘密はなく、世界のレベルは年を追うごとに差が縮まっているという。
レシツキさんは、中央ヨーロッパのスロバキア共和国でナンバーワンのサッカーコーチだ。93年1月に「チェコスロバキア」が分離してできた国のひとつが首都をブラチスラバに置くスロバキア。レシツキさんは分離前のチェコスロバキア代表チームのヘッドコーチを長年務め、分離後はスロバキアのUー21(オリンピック)代表チームの監督を四年間務めてきた。
そのレシツキさんと会ったのは、9月中旬、東京の渋谷でのことだった。レシツキさんは、ことしの3月から渋谷の住人なのだ。
昨年11月、ヨーロッパUー21選手権の予選が終わった後、レシツキさんは監督を辞任した。そして以後マスメディアにも一切顔を出さなくなった。サッカー記者たちがようやくこのスロバキア一のコーチの所在を確認したのは、ことし3月、東京でだった。
実は、外務省に勤める妻のダニエラさんが、領事として在東京のスロバキア大使館に着任することになり、レシツキさんもいっしょについてきたのだ。
「25歳のときにコーチになって以来、30年間近く働き続けてきた。だから、ちょうどいい休暇だと思ったんだ」
レシツキさん夫妻には男女ふたりの子供がいるが、いずれも成人し、すでに結婚もしている。サッカーのコーチとして、1年の3分の1以上家を空けていたので、妻が外国に赴任するならついていって、しばらく「主夫」になるのも悪くはないと思ったのだ。
しかし来日して半年、仕事がない生活というのが苦痛になってきた。15歳のときに1部リーグのクラブでプレーを始めて以来、ずっとサッカー漬けだった。サッカーはレシツキさんの人生そのものだったのだ。
ワールドカップは、東京の自宅の居間で見た。
「日本はよく動き、技術はすばらしかったし、戦術も申し分なかった。足りなかったのは経験。岡田監督は非常にクレバーだと感じたが、プレーをするのは選手。選手の国際経験が足りないのは明白だった」
ワールドカップが終わると、スロバキアの記者たちは毎日のように電話してきて「なぜあなたが日本代表の監督にならないのか」と聞いた。ヨーロッパでも有数の名コーチが東京にいるのに、日本は何をしているのかと。しかしレシツキさんの存在は、日本ではまったく知られていなかった。
妻のダニエラさんの任期は4年ないし5年間だという。レシツキさんが日本でまとまった仕事をする時間はたっぷりある。
「日本のサッカーの将来は非常に明るい。そして私には、その発展に寄与する力があると思う。できれば、日本で監督(コーチ)として働きたい」
不思議な縁で日本にきたレシツキさん。その縁が日本サッカーとどう交差するのか。ひょっとすると、近い将来にJリーグの監督になっているかもしれない。
(1998年9月30日)
中田英寿がセリエAにデビューした。ふたつのゴールもすばらしかったが、私にはパスの確度の高さがより印象的だった。
強豪ユベントスとの試合で、中田は40本のパスを試み、うち34本を通した。成功率実に85パーセント。「攻撃的MF」というポジションでは異例の高率だ。中田のキープとパスのおかげでペルージャがユベントスと戦う基盤ができたことが、2ゴールより大きな意味をもっている。
このセリエA開幕を最後に、西ヨーロッパの主要な国内リーグがすべて開幕した。ワールドカップ直後のシーズンは、どこの国でも新しいスターのプレーで盛り上がるのが通例だ。
しかし今年は、優勝争いの予想やスーパースターのプレー以外のところで議論が沸騰している。ヨーロッパの主要クラブを集める「スーパーリーグ」構想と、メディア王ルパート・マードック率いる衛星放送局「BスカイB」によるマンチェスター・ユナイテッドの買収事件である。
イングランドきっての人気クラブ、マンチェスター・ユナイテッドの買収には、約1200億円という値がついた。それに追随するように、アーセナルやニューカッスルなどプレミアリーグの他のクラブにも買収の動きが広がっている。
このような大胆な投資の背後には、マルチチャンネル・デジタル放送時代に向けての放映権獲得争いがある。それは「スーパーリーグ構想」もまったく同じだ。
トップクラスのサッカーは、ハリウッド映画の大作と並ぶ魅力あふれる放送ソフト。いまやメディア資本のサッカーへの進出は止めようのない事態なのだ。
しかし資金が流れ込むサッカーの側から見ると、まったく別の面が現れる。
プラス面には、資金が潤沢になり、選手の報酬やスタジアム施設などが改善されることが挙げられるだろう。それによって、エンターテインメント性がより高まるに違いない。
しかし物事には必ず両面がある。マイナス面は、恩恵を受けるのはごく一部のクラブにすぎないことだ。
現在でも、同じプレミアリーグに所属しながら予算規模に10倍もの格差が存在する。スペインやイタリアでも状況は同じだ。中田のペルージャは、1試合は健闘しても、1シーズンが終わったときにユベントスを押しのけて優勝することなどまずない。予算規模、クラブ組織、そして選手層がまったく違うからだ。
巨大メディアが資金を投入するのはごく一部の人気クラブ。「スーパーリーグ」に参入できるのはさらに少なく、超エリートクラブだけになるだろう。こうしたクラブだけが潤い、スターを買い集め、タイトルを独占するようになるのだ。
その一方で、中小のクラブ、そして下部のクラブは、補強もままならず、優勝の望みもなく、現在よりもさらに苦しい状況に陥るだろう。「スーパーリーグ」ができれば国内リーグへの興味が薄れるのは明白だ。ヨーロッパ・サッカーにとって非常に危険な状況といわなければならない。
はたして、ヨーロッパのサッカー界に、押し寄せるメディア資金をうまく処理する力はあるのか。それとも巨大な波にのみ込まれ、急激に輝いた後に衰退の道をたどるのか。
この事件は、けっして「よそ事」ではない。現在は日本のテレビにはあまり愛されていないJリーグだが、本格的なデジタル衛星放送時代を迎える近い将来に放映権争いが激化することは十分考えられる。ヨーロッパで起きることをよく研究し、サッカー界としてのスタンスをしっかりと固めておかなければならない。
(1998年9月16日)
Jリーグの観客数が持ち直しつつある。
第1ステージ終了時の1試合平均観客数は1万2419人。1万0131人だった昨年を2000人以上も上回っている。94年の1万9598人には遠く及ばないが、3年連続で減り続けていた傾向に、ことしは歯止めがかけられそうだ。
とはいっても、手放しで喜べる状況ではない。横浜国際競技場(収容7万人)の登場により、横浜の2チームの観客数が大きく伸びていることが、「平均」に少なからぬプラスを与えているからだ。とくにマリノスは、昨年(9212人)の倍以上の2万0586人を集めている。
ことしの特徴は、当日券が多く出ていることだそうだ。昨年まではほとんど売れなかった当日券が、1試合平均で2000枚も出ているという。鹿島と浦和以外は前売りで売り切れにはならないことがファンの間にも浸透し、天候やチームの話題性などで、「行ってみようか」と考える人々が増えたのだろう。
天候に恵まれた9月5日土曜日に東京の国立競技場で行われたヴェルディ川崎×浦和レッズ戦には、第2ステージにはいって最多の3万3780人が集まった。最寄りのJR千駄ヶ谷駅からスタジアムに向かう道には屋台や弁当売りが立ち並び、威勢のいい売り声が続いていた。
しかし多くのファンをもつレッズが開幕から2連勝で首位に立ち、「宿敵」といっていいヴェルディとの対戦だったというのに、スタンドには大きな空席が目立った。原因はキックオフ時間にあったようだ。
この試合は午後3時キックオフ。しかしこの土曜日は学校のある日だったのだ。昼まで授業を受けると、埼玉や川崎方面から3時に間に合うように国立競技場に行くのはかなり難しい。午後7時キックオフだったら、4万人台も不可能ではなかっただろう。
こうしたことがわかっていながら3時キックオフにしたのは、テレビ中継の都合だった。現状ではJリーグの中継で高い視聴率は望めない。当然、東京の「キー局」では、夜のゴールデンタイムでの放映は無理だ。生中継をしようとしたら、どうしても昼間の試合になってしまう。民放での中継がはいっていたこの日は、午後3時キックオフを動かせなかったのだろう。
しかし待ってほしい。Jリーグは、93年のスタートを前に大がかりなアンケート調査を行い、基本的な試合時間を決めた。それは土曜日の午後6時半だったはずだ。
Jリーグの観客は、サッカー部在籍の中高生が少なくないだろうと予想された。土曜日の午後や日曜日だと、練習や試合があるので、なかなか観戦に行くことができない。それはせっかくのいい「お手本」を見ることができない中高生にとっても、潜在的なファン、観客を動員できないクラブ側にも不都合だ。
このキックオフ時間を決めたとき、川淵チェアマンは「テレビ中継の都合を考えるよりも、できるだけ多くの人にスタジアムにきてほしい」と説明したはずだ。しかしいま、そうした「初心」はすっかり忘れ去られてしまっている。
Jリーグのファンは、サッカー部の中高生に限らない。しかし現在のJリーグは、「見たいけれどこの時間では行くことはできない」というファンをほおっておく余裕などないはずだ。授業のある土曜日かどうか、サッカー部の中高生たちが見に来ることができるかどうか。初心に戻り、細かな気配りをすることが、ファンを定着させ、スタジアムを再び満員にさせる力になるはずだ。
(1998年9月9日)
日本代表の次期監督に、どうやらフランス人のフィリップ・トルシエ氏が決まりそうだ。
15年間のコーチ生活のうち10年間をアフリカで過ごし、昨年はナイジェリア代表監督としてワールドカップ予選を通過させた。そしてその後解任されながら、ことし2月にはブルキナファソを「アフリカ・ネーションズ・カップ」ベスト4に導き、6月にはワールドカップで南アフリカの指揮を執った。43歳の若さながら経験は豊富。その手腕に期待したい。
しかしながら、今回の監督決定(正式決定は9月10日に開催される日本サッカー協会の理事会だが)までの経緯は、またも「日本サッカー協会前途多難」を思わせるものだった。
第一に、極秘裏の交渉だったにもかかわらず、8月上旬という早い時期に外部に情報が漏れてしまった。その結果、日本協会は8月20日の時点で「技術委員会はトルシエ氏を最適と判断。条件面で合意すれば理事会に推薦」という不可思議なプレスリリースを出さなければならなくなった。
第二に、代表監督決定の責任者が誰であるのか、またも不明確になってしまった。長沼健前会長の後を受けて七月に就任した岡野俊一郎新会長は、技術担当として釜本邦茂氏を副会長に任命したという。しかし技術委員会が結論を出した時点でトルシエ氏と話をしたことがあるのは、大仁邦彌技術委員長だけだった。
長沼会長下の日本サッカー協会がファンとの断絶を生じたのは、日本代表の監督の選任に関する権限と責任の所在が明らかでなかったことが、そもそもの原因だった。今回、釜本副会長を技術担当と位置づけるのなら、監督選任の権限と責任をもたせるべきだ。会長のみか、その副会長がいちども候補者に会わないうちに内定するとは、どういうことなのだろうか。
技術委員会と代表監督の関係についても、相変わらずあいまいな点が多い。こんなことで、トルシエ氏は十分なサポートを受けることができるのだろうか。彼が苦境に陥ったとき、自分自身の問題として味方になってくれるのは、いったい誰なのだろうか。
代表監督の選任というのは、本来、人間と人間の信頼関係に基づいてなされるものだと思う。権限のある者が人間として監督を信頼し、監督も権限をもった人の言葉を100パーセント信じることで、困難な仕事をやり遂げることができる。
1960年、日本協会は西ドイツ協会の推薦を受けたデットマール・クラマー氏を日本代表の特別コーチとして招いた。そのときには、当時の野津謙会長が自らクラマー氏を訪ね、その人柄にほれこんですべてをまかせる決意をしたと聞いている。だからこそ、国内で執拗に言われた「外国人コーチ不要論」を断固退けることができたのだ。今回のトルシエ氏内定までに、そうした信頼関係は生まれているのだろうか。
トルシエ氏は日本協会と話し合いをもつために8月27日から9月1日まで日本に滞在した。その間の日本協会の対応にも問題があった。フランス語の通訳をつけなかったこと、唯一のJリーグ観戦に大幅に遅刻させたことだ。
提示された契約期間が2年間であることを質問されたトルシエ氏は、「2年後に見直せるほうがいい」という内容の答えをしたが、「自分にとっても」という言葉を忘れなかった。2年後、トルシエ氏が「こんなところでは仕事はできない」などと言って自ら出ていってしまうような事態にならないよう、日本サッカー協会にもプロフェッショナルな対応が求められる。
(1998年9月2日)