サッカーの話をしよう
No.235 トルシエを信頼する責任
日本代表の次期監督に、どうやらフランス人のフィリップ・トルシエ氏が決まりそうだ。
15年間のコーチ生活のうち10年間をアフリカで過ごし、昨年はナイジェリア代表監督としてワールドカップ予選を通過させた。そしてその後解任されながら、ことし2月にはブルキナファソを「アフリカ・ネーションズ・カップ」ベスト4に導き、6月にはワールドカップで南アフリカの指揮を執った。43歳の若さながら経験は豊富。その手腕に期待したい。
しかしながら、今回の監督決定(正式決定は9月10日に開催される日本サッカー協会の理事会だが)までの経緯は、またも「日本サッカー協会前途多難」を思わせるものだった。
第一に、極秘裏の交渉だったにもかかわらず、8月上旬という早い時期に外部に情報が漏れてしまった。その結果、日本協会は8月20日の時点で「技術委員会はトルシエ氏を最適と判断。条件面で合意すれば理事会に推薦」という不可思議なプレスリリースを出さなければならなくなった。
第二に、代表監督決定の責任者が誰であるのか、またも不明確になってしまった。長沼健前会長の後を受けて七月に就任した岡野俊一郎新会長は、技術担当として釜本邦茂氏を副会長に任命したという。しかし技術委員会が結論を出した時点でトルシエ氏と話をしたことがあるのは、大仁邦彌技術委員長だけだった。
長沼会長下の日本サッカー協会がファンとの断絶を生じたのは、日本代表の監督の選任に関する権限と責任の所在が明らかでなかったことが、そもそもの原因だった。今回、釜本副会長を技術担当と位置づけるのなら、監督選任の権限と責任をもたせるべきだ。会長のみか、その副会長がいちども候補者に会わないうちに内定するとは、どういうことなのだろうか。
技術委員会と代表監督の関係についても、相変わらずあいまいな点が多い。こんなことで、トルシエ氏は十分なサポートを受けることができるのだろうか。彼が苦境に陥ったとき、自分自身の問題として味方になってくれるのは、いったい誰なのだろうか。
代表監督の選任というのは、本来、人間と人間の信頼関係に基づいてなされるものだと思う。権限のある者が人間として監督を信頼し、監督も権限をもった人の言葉を100パーセント信じることで、困難な仕事をやり遂げることができる。
1960年、日本協会は西ドイツ協会の推薦を受けたデットマール・クラマー氏を日本代表の特別コーチとして招いた。そのときには、当時の野津謙会長が自らクラマー氏を訪ね、その人柄にほれこんですべてをまかせる決意をしたと聞いている。だからこそ、国内で執拗に言われた「外国人コーチ不要論」を断固退けることができたのだ。今回のトルシエ氏内定までに、そうした信頼関係は生まれているのだろうか。
トルシエ氏は日本協会と話し合いをもつために8月27日から9月1日まで日本に滞在した。その間の日本協会の対応にも問題があった。フランス語の通訳をつけなかったこと、唯一のJリーグ観戦に大幅に遅刻させたことだ。
提示された契約期間が2年間であることを質問されたトルシエ氏は、「2年後に見直せるほうがいい」という内容の答えをしたが、「自分にとっても」という言葉を忘れなかった。2年後、トルシエ氏が「こんなところでは仕事はできない」などと言って自ら出ていってしまうような事態にならないよう、日本サッカー協会にもプロフェッショナルな対応が求められる。
(1998年9月2日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。