サッカーの話をしよう
No.244 本質をついていたのはサポーターだけだった
サポーターは正しい。文句なく正しい。
横浜マリノスとの合併問題の収まりどころがまだ見えない横浜フリューゲルス。一連の騒動のなかで最も冷静で、最も本質をついた主張をしているのは、どうやらフリューゲルスのサポーターたちのようだ。
その主張はシンプルだ。
「全日空がマリノスに出資することは何も言わない。しかし横浜フリューゲルスというクラブは全日空だけのものではなく、自分たちサポーターや横浜市民のものでもあるのだから、なくさないでほしい」
「Jリーグ1部でなくても、来年から始まる2部や、その下の新しいJFLでも、あるいは関東リーグでもかまわない。新しい出資者、スポンサーを探し、できるレベルでやっていく。自分たちはそのフリューゲルスを応援していきたい」
その主張は、感情的でも感傷的でもなく、すばらしく理性的だ。フリューゲルスの選手たちの主張や子供じみた行動、そして自分たちの身分保証にしか考えが及ばないJリーグ選手協会の態度とは大きく違う。
Jリーグのクラブは、地域の生活に貢献することを目指してきたはずだった。そしてずっと真剣にそうした取り組みを続けてきたのが、鹿島アントラーズと浦和レッズだ。地域の人がサッカーを楽しみ、サッカーのプロクラブを地元にもつことを誇りに思い、クラブが地域の生活の欠くことのできない存在になる。
ときには暴走して問題を起こす両クラブのサポーターたちも、その情熱とパワー、そして若い世代を結集させる力で、地域文化の重要な要素となっている。
「いまいちばん難しいのは、若い人を集めることだ。ひとつのことに町ぐるみの若者を集めることができるのは、Jリーグだけだ」
そう語ったのは、ベルマーレ平塚がJリーグに昇格した当時に平塚市長だった石川京一さんだ。
通常の地方行政では考えられないような無理をして半年間でスタジアムの改装を完成し、Jリーグへの昇格条件をクリアした行動派市長は、ベルマーレの試合に集まるサポーターを見て、改めてJリーグが目指すもののすばらしさを実感したと話してくれた。
その後、多くのクラブは地域の生活に貢献するという目標を忘れ、観客数を激減させた。当然、サポーターの数も大きく落ちた。だが残ったのは、自分たちの人生と地元のJリーグクラブとの関係の「本質」を見抜いた人々だったのだ。
クラブは企業が資金を出して運営されている。しかしそれはけっして企業の「私物」ではない。自ら入場料を払い、屋根もないスタジアムで試合が見やすいとはいえないゴール裏に陣取り、情熱を傾けて「サポート」をしてきた人々なくして、「プロ」らしい雰囲気はなかった。Jリーグのクラブは、そうした人々のものでもあるのだ。
今回の事件を通じて、そうした「本質」を主張し続けたのは、ただひとつ、フリューゲルスのサポーターだけだった。
企業の論理だけで「不良子会社の整理」に走った全日空と日産、「ノー」と言えなかった両クラブ経営者、企業の論理を社会情勢上仕方がないと受け入れたJリーグ。「地域密着」や「理念」などの言葉を振りかざしても、「本質」に根ざしたサポーターたちの心からの要求の前では空虚に聞こえる。
全日空、横浜フリューゲルス、そしてJリーグは、サポーターたちの真摯(しんし)な要求にどう応えるのか。そこにこそ、Jリーグの本当の「ターニング・ポイント」があるような気がする。
(1998年11月11日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。