サッカーの話をしよう
No.253 チューブ駅「アーセナル」の話
初めてロンドンにいったとき、地下鉄に乗れなくて往生したことがある。
「地下道」の入り口はあっても、「地下鉄」は見あたらない。必死に「サブウェー」を探したのだが、それはアメリカ英語で、イギリスでは地下鉄を「アンダーグラウンド」と呼ぶことを、私は知らなかったのだ。
実は、ロンドンの地下鉄は、もうひとつ名前をもっている。「チューブ」。夏に活躍するグループではない。トンネルのなかを走る電車だからだ。現在では、この呼称が最も一般的だ。そのチューブのひとつの駅名が、きょうの話題だ。
「アーセナル」。日本でもおなじみのベンゲルが監督を務める名門クラブの名。その名のとおり、アーセナルFCのホームスタジアムへの最寄り駅が、チューブ・ピカデリー線の「アーセナル」駅なのだ。
ロンドンには現在6つのプレミアリーグ・クラブがある。だが地区名をとったウィンブルドン以外では、クラブ名がチューブの駅名になっているのはアーセナルだけだ。この駅は1932年までは「ギレスピー・ロード」と呼ばれていた。それが「アーセナル」に変わった裏には、名将とうたわれたひとりの監督の卓抜したアイデアがあった。
ハーバート・チャップマン監督は、革命的な「WMシステム」を考案し、30年代に無敵のアーセナルをつくった人。だが、彼のアイデアはグラウンド内にとどまらなかった。次つぎとクラブ経営の画期的アイデアを考案したのだ。そのひとつが、最寄りのチューブ駅名の変更だった。クラブの存在をアピールし、より多くの観客を集めるためのアイデアだった。
ロンドンの交通局も議論の末に了承し、アーセナルは、まったくただで大きな宣伝効果を得ることになった。翌33/34年シーズン、アーセナルは1試合平均4万1000人の記録的な観客を集め、スタンドの改装に大金を使いながら大きな利益を計上したのだ。
チャップマンはまさにアイデアの人だった。選手の背中に番号をつけることも、白いボールを使うことも、そして夜のゲームを中心にしようという提案も、すべて彼のものだった。どのアイデアも、観客によりいっそうサッカーを楽しんでもらい、アーセナルをあらゆる面で成功したクラブにすることが目的だった。
Jリーグでは、川淵チェアマンが「身の丈にあった経営を」と説いている。出資企業からの大きな援助が見込めないベルマーレ平塚は、昨年の入場料収入をベースに今季の予算をたてた結果、主力選手の大半を放出せざるを得なかった。
たしかに、これまでのクラブ経営は、企業からの援助に甘えて足元が見えていなかった。しかしだからといって、足元だけを見ていればいいのか。「これだけしか収入が見込めないから」という姿勢の経営なら、誰にも苦労はいらない。
経営者やスタッフが知恵を絞れば、アイデアはいくらでも出てくるはずだ。プロの名に値するチームを維持するために選手にある程度の年俸を払う必要があるなら、その資金をかせぐアイデアをひねり出すのが経営者の仕事ではないか。
小口でも新スポンサー獲得のために、パンツやストッキングに企業名を入れてもいい。リーグ規約を変更すれば済む。観客を呼ぶためのアイデアも、それこそ際限なくあるはずだ。
日本におけるプロサッカーの市場は、まだまだ無限の可能性をもっている。宝の山の上で居眠りしているような経営ではだめだ。周囲の人々までウキウキしてくるような、アイデアあふれるクラブ経営が、いまほど求められるときはない。
(1999年2月10日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。