サッカーの話をしよう
No.263 ナイジェリア ホスピタリティーの故郷
先週、私は2006年ワールドカップのナイジェリア開催は考えられないと書いた。インフラの整備がとても間に合わないだろうと指摘した。
しかしそれはサッカーの大会を開催する資格がこの国にはないという意味ではない。いやむしろ、3年後に迎えるワールドカップを考えるとき、私たち日本にとって昨年のフランス大会以上に重要な教訓がこの国にあることを、2週間たらずのナイジェリア滞在で強く感じた。
それが、「ホスピタリティー」である。
いくつかの辞書を引くと、「親切なもてなし」「歓待」などの意味が出てくる。講談社刊『最新カタカナ語辞典』に掲載されているから、すでに日本語として通用し始めている言葉だ。
ワールドユースの取材でナイジェリア北部のカノとバウチに滞在して感じたのは、人々の心からの親切、そして見知らぬ私たちを何の抵抗もなく受け入れてくれるおおらかさだった。
通信状況の悪かったバウチでは、原稿送りのために奔走するなかである実業家と知り合った。彼の会社の回線も使えないとわかったとき、彼は迷わず自宅に私たちを連れていき、回線の新しい電話を喜んで貸してくれた。翌朝その家に忘れ物を取りに行くと、わざわざ朝食をつくってごちそうしてくれた。
クレジットカードが使えず現金不足で困ったときには、銀行の支店長がラゴスの本店に何度も電話やファクスで連絡を取り、信用で現金を出してくれた。2日がかりの作業。その誠実な対応には頭が下がった。
町を歩くと顔を合わす人々がみな「グッドモーニング」「ハウアーユー?」「ウェルカム」などと話しかけてくる。子どもたちは例外なく人なつこく、純粋な笑顔を見せる。
カノは人口200万、バウチは80万だという。乾季のせいで埃っぽく、清潔とはいえない場所も多いが、世界の大都市にありがちな「ストリート・チルドレン」を見ることはない。
この国は、つい数十年前まで、1000人単位が当然という「大家族」で構成される社会だった。子どもたちは、生みの親だけでなく、何百人、何千人もの大人や兄弟たちに見守られて育った。孤児などいるはずがなかった。その「大家族精神」がホスピタリティーを支えている。
さすがに都市化が進んだ最近では家族も小さくなり、孤児も出ているが、政府や地域社会が厚く保護している。日本チームはバウチで「孤児たちの家」を訪問したが、子どもたちはみな元気で、健康そうだった。
「ここはね、『ホスピタリティーの故郷』と呼ばれているんだよ。どんなところからきた旅行者でも、私たちは心を開いて歓待する。その人がまるで自分の家にいるようにね。それが私たちの伝統なんだ」
カノでもバウチでも、人々は同じようなことを言った。交通手段や通信手段は頼りにならなくても、しょっちゅう停電になっても、私たちのホスピタリティーは世界でいちばんだ--。人びとの誇りが、ワールドユースを支えた最大の力だった。
日本には最高レベルの交通や通信手段がある。ホテルも充分だし、スタジアムもきれいに準備される。サッカーへの関心も高まり、アメリカ大会のときのような寂しいワールドカップになることもないだろう。
しかし「ホスピタリティー」はどうだろう。世界から来るファン、選手や役員、報道関係者たち。その人々を心を開いて歓待するマナーが、いまの日本にどれだけ残っているだろうか。
大会を大過なく運営するだけでは、2002年ワールドカップが美しい思い出となることはない。「ホスピタリティー」をどう発揮するか。それは、すべての日本人の課題だ。
(1999年4月21日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。