サッカーの話をしよう
No.264 ワールドユース99 快挙導いた心の解放
ワールドユース選手権準優勝。すばらしい戦いだった。
まずは、20日間で7試合というハードスケジュールをこなした選手とトルシエ監督をはじめとした指導陣、そして大仁団長を筆頭にチームを支えたスタッフにおめでとうと言おう。
日本サッカー協会にとっても、78年になる歴史のなかでFIFA(国際サッカー連盟)主催の世界大会準優勝は最高の成績だ。これまでの長期的な強化計画が実を結び始めた結果であり、その成功を祝いたい。
しかしこうしたユース大会での成果を見るたびに思うのは、少年チーム、中学、高校のサッカー部、町のクラブチーム、そしてJリーグまでの組織をもったプロクラブなど、ジュニア世代の指導にあたっている日本全国のコーチたちのことだ。
日本協会には、18歳以下の男子だけで約1万9000ものチームが登録されている。この年代の登録プレーヤー総数は約62万人にのぼる。
互いに切磋琢磨し、ワールドカップで活躍する選手を育てることを目指して献身的な指導をしているコーチたち。今大会に出場した18人の選手を直接指導したかどうかにかかわらず、この成績は、間違いなく全国のジュニアチームのコーチたちのものでもある。
日本全国の小学校のグラウンドで毎日繰り広げられているプレーが、中学、高校やユースクラブを経て日本ユース代表チームにつながり、ワールドユース選手権準優勝という成績をもたらしたのだ。心からおめでとうと言いたい。
しかし同時に、トルシエ監督が選手たちに何を与え、何を変えてこの成績をもたらしたのか、逆に言えば、日本のユース代表選手たちにこれまで欠けていたものも、日本のジュニアサッカーがもつ問題点であることも、忘れてはならないだろう。
チーム戦術の徹底とともにトルシエがこのチームの指導で心を砕いたのは、選手たちの「心」を解放することだった。
日本の選手たちは喜怒哀楽の感情や自分の情熱をストレートに表現することができない。それが、相手とのぎりぎりの勝負になったときの「弱さ」につながっていると、トルシエは考えた。だから自分自身を表現することを求め、そうしなければやっていけないように日常生活や練習で仕向けていった。
「おとなしかった選手たちが、いまでは、勝利の後にはみんなで歌を歌うようになった」
大会の後半、トルシエはこう語って選手たちの変化を喜んだ。そしてその変化こそ、ポルトガル、メキシコ、ウルグアイといった百戦錬磨の伝統国の若者たちに競り勝って決勝戦進出を決めたキーファクターだった。日本選手たちが少年時代から培ってきた技術や個人戦術の高さが、「心」の解放によって、ピッチの上でようやくフルに発揮されたのだ。
喜怒哀楽、情熱をストレートに表現する力。それは、自分自身を裸にし、真っ正面から見つめる力であり、人間として成長していくうえで必要不可欠な要素だ。その表現力に乏しいのは、ジュニアチームのサッカーコーチの責任ではなく、現代の日本社会がかかえる問題であるのかもしれない。しかしだからと言って、ジュニアチームのコーチたちがそれを見過ごし、仕方がないとあきらめていていいわけではない。
サッカーは全人格的なゲームである。日本ユース代表の短期間での成長、そのためにトルシエがなしたことは、その何よりの証明だった。
トルシエの指摘を率直に受け止め、これからの指導でプレーヤーたちの「心」の解放に心を砕くコーチがひとりでも多く出ることが、「準優勝」の何よりの成果になるはずだ。
(1999年4月28日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。