チャンネルを回していると突然サッカーが飛び出してきた。
4月14日、ナイジェリア北部のカノ。ワールドユース選手権のナイジェリア対アイルランド戦を見るため、それまで10日間近く滞在したバウチから6時間かけて移動した夜だった。
気温40度、クーラーの切れたバスでの旅と、延長、PK戦にまで突入する長い試合の取材で、私は疲れ切っていた。
そこに飛び込んできたのは、あふれんばかりに生き生きとしたイングランド・サッカーの生中継だった。「FAカップ」準決勝再試合、マンチェスター・ユナイテッド対アーセナル。そのスピード感は、酷暑のなかのサッカーを見続けてきた目には、新鮮で、刺激的だった。
1−1で迎えた延長戦、ユナイテッドのギグスが驚くべきゴールを決める。ハーフライン手前で相手のパスをカットしたギグスは、ドリブルで前進し、5人の相手選手を抜き切って、最後は左の角度のないところからGKの肩口を破ったのだ。
そして約1カ月後。先週土曜日、柏でのJリーグの取材から帰った私を待っていたのは、きらめくようなロンドンの5月の大輪、「FAカップ」決勝の生中継だった。イングランド国内カップの決勝戦だが、127年の歴史をもち、現在では全世界に生中継される国際的なイベントでもある。
マンチェスター・ユナイテッドは、その1週間前、イングランド・プレミアリーグでの優勝を飾っていた。追いすがるアーセナルを最終日に突き放した劇的な優勝だった。そしてこの日、ユナイテッドはオランダ人のフリット監督が率いる野心的なニューキャッスルを2−0で下し、「二冠」を達成した。
開始わずか8分でキャプテンのアイルランド代表キーンが負傷退場しながら、交代出場したイングランド代表シェリンガムが先制ゴールを挙げる活躍を見せた。相手に攻め込まれる時間帯が続いても、チームは動じることなく一丸となって戦った。2点目は、そうして15分間守り抜いた後の、最初の攻撃から生まれたものだった。それが相手の闘志を砕いた。心憎いばかりの勝ち方、そしてタフさ。
そしてきょう、5月26日(日本時間明日未明)、ユナイテッドは今シーズン最後の試合、UEFAチャンピオンズリーグ決勝戦を戦う。会場はバルセロナ、相手はドイツの雄バイエルン・ミュンヘンだ。
ユナイテッドは8カ国から十数人の代表選手をかかえているスター軍団だ。年間予算は200億円を超え、ほんの数年ほど前までの「サッカークラブ」のイメージをはるかに超えている。周辺の経済効果も含め、「巨大産業」とまで言う人もいる。
しかし単に収益をあげ、勝ち続けているだけではない。彼らは世界中の人々に夢を与え、喜びを伝えている。そして何よりも、1958年にチームの大半を航空機事故で失ったとき以来、このクラブのプレーと歴史は、人間の強さ、勇気、そして不屈の精神を語りかけているように思えてならない。
FAカップの準決勝では、1−1で迎えた後半のロスタイムにアーセナルにPKを与えてしまった。しかし守護神シュマイケルがこれを見事防ぎ、延長戦のギグスのゴールにつなげた。
チャンピオンズリーグの準決勝、対ユベントス戦では、ホームを1−1で引き分け、アウェーでも前半早々と2点をリードされた。常識的には「絶望的」といっていいスコアだ。しかしここでユナイテッドの選手たちは今季最高のプレーを見せた。前半のうちに同点に追いつき、後半にも1点を加えて逆転勝ちしてしまったのだ。
さて今夜、ユナイテッドはどんな「勇気」を見せてくれるだろうか。
(1999年5月26日)
「いいね、自分の町に『クラブ』があるって...」
帰り道、そんな話が出た。
5月の日曜日、鹿島アントラーズのクラブハウスを訪れた。取材ではない。私が監督をしている女子チームの試合が、アントラーズのトレーニンググラウンドで行われたのだ。
グラウンド難の関東女子リーグを、アントラーズが助けてくれた。サテライトリーグの前座として、茨城県代表の筑波大学のホームゲームが組まれ、私たちは「ビジター」として試合に行ったというわけだ。
アントラーズのクラブハウスは、カシマスタジアムから車で10分ほどのところにある。朝9時すぎに駐車場にはいると、ボランティアのおじさんが親切に更衣室まで案内してくれた。
総敷地面積5万6000平方メートル。クラブハウス2階、ファンのためのラウンジに上がると、3面の天然芝グラウンドが一望できる。木立の向こうには、人工芝のグラウンドもあるはずだ。
午前中には、アントラーズのジュニアユースの試合もあるらしい。自転車で少年たちが次々と到着する。私たちの試合が行われるのはクラブハウス正面のグラウンド。ジュニアユースは左奥のグラウンドだ。
私たちの試合の最中から、サテライトリーグの対柏レイソル戦を応援しにきたファンが小さなスタンドを埋めはじめる。試合を終え、着替えを済ませてサテライトリーグを見ようとしたときには、スタンドはすっかり埋まっていた。ようやくのことで、最後列の後ろの通路に立ち見スペースを見つけた。
この日、アントラーズは前日の試合にフル出場したGK曽ヶ端準と、交代出場だったMF本山雅志、FW平瀬智行という3人のオリンピック代表候補を出場させていた。しかしスタンドを埋めたのは、「アイドル」目当てのファンではなかった。
アントラーズの少年チームに在籍する男の子を連れた父親、地元のおじさん、おばさん。
「しっかり声をかけて!」
「ラインを上げて!」
外国なら、こうした声の主は男性のオールドファンと決まっている。しかし驚いたことに、ここではなんと20代と思える女声だ。好プレーにはスタンドがどっと沸くが、黄色い歓声が上がるわけでもなく、みんな楽しそうに試合を見守っている。
そこにあるのは、選手に対する肉親のような温かい感情だった。明日のアントラーズを担うサテライトの選手は、市民全体の息子たちなのだ。好天に恵まれた日曜の午後、息子たちの成長ぶりを確認するのは、鹿嶋市民にとってこの上ない喜びであるに違いない。
振り向くと、スタンドの背後にはレストランを兼ねた売店があり、ソフトクリームやホットドッグなど軽食が売られている。次の水曜に国立競技場で行われるJリーグの試合のチケットを売るデスクも出ている。
白熱したトップチームの試合が壮大な「儀式」のように緊張感にあふれたものであるとしたら、この日アントラーズのクラブハウス・グラウンドで繰り広げられていたのは、「村祭り」のようにほのぼのと、そして浮き浮きと楽しい行事だった。
その大きな要素のひとつがこの施設にあることは間違いがない。アントラーズは、単に練習する場所としてではなく、地域の人々がチームと、そして互いに、交流する場所として、クラブハウスを構想した。そしてその構想に従ったクラブ運営を貫くことで、アントラーズは市民生活に不可欠な存在となった。
「町に『クラブ』がある」とは、こういうことなのだ。きちんと手入れされた夢のような芝生だけでなく、クラブハウスを中心とした生活全体の「豊かさ」に、私たちは羨望の思いを抱きつつ帰途についたのだった。
(1999年5月19日)
「なるほどな...」と、思わずうなってしまった。
先月発表された2006年ワールドカップのイングランド招致委員会による「少年少女招待プログラム」だ。
計画によれば、イングランドで大会が開催されることになったら、FIFA(国際サッカー連盟)傘下の全サッカー協会からそれぞれ12人の少年少女を大会に招待するという。
招待された子どもたちは2週間イングランドに滞在し、少なくとも2試合のワールドカップ観戦が組まれる。同時に、政府が全面協力し、イングランド各地にホームステイして地域の学校に通い、各種の文化交流プログラムに参加する。費用は全額主催者もち。総額7億7500万円のプロジェクトだ。
FIFAには現在203協会が加盟しており、その数は今後数年のうちにさらに増加することが予想される。総勢2500人近くの少年少女の招待は、「スポーツ界では人類史上最大の文化交流」と、アレック・マクギバン招致委員長も胸を張る。
感心したことのひとつは、アイデアひとつで、ほとんど費用をかけずにインパクトのある招致活動をしていることだ。招致が不成功に終わった場合には、まったく費用はかからない。しかしそれ以上に、アイデアの底にある「思想」の美しさに感嘆の念を抱かずにいられない。
招致活動の中心的なスポークスマンであるサー・ボビー・チャールトン(66年大会優勝のヒーローのひとり)は、その「思想」をこう説明する。
「私たちの願いは、大会のインパクトを、32の出場国や2006年という一時期をはるかに超えたものにしたいということです。少年少女は、サッカーの未来そのものです。彼らは明日の選手であり、コーチ、サポーター、役員なのです」
2002年の招致に取り組んでいたとき、私たちにはこうした「思想」はなかったように思う。私自身も、「21世紀のテクノロジーを表現するものにしなければならない」程度の考えしかなかった。あのとき私たちの誰かにこんな卓抜したアイデアがあればと、悔やまずにいられない。
しかし改めるに遅すぎることはない。そしてまた、いいことを真似するのに恥じることはない。イングランドの「少年少女招待プログラム」の「2002年版」を、ぜひとも日韓両国の組織委員会に実現してもらいたいと思うのだ。
世界中からでなくていい。たとえばAFC(アジアサッカー連盟)傘下の42協会から10人ずつ、合計420人を招待し、日韓両国にそれぞれ1週間ずつの滞在でワールドカップを楽しみながら両国を知ってもらうという事業はどうだろう。「アジアで初めてのワールドカップ」という2002年大会のテーマのひとつにも、ぴったりのプログラムではないだろうか。
ワールドカップの準備は非常に多岐にわたっており、着実に積み重ねていかなければならないのはわかる。しかしそれにしても、現在の大会準備活動からは、「人類最大の祭典」を迎えるという浮き浮きとしたものは感じられない。あまりに「お役所的」で、夢のある「思想」が感じられないのだ。
招致活動中には少年少女からたくさんの募金を集め、彼らのサッカー協会登録費にも招致協力金を上乗せして集めるなどした。しかしワールドカップには「小学生券」はなく、このままでは、少年少女は大会のアトラクションに動員されるだけで、大会自体は大人しか見られないものになる恐れさえある。
新しい世紀を担う日本とアジアの少年少女がワールドカップを通じて交流し、大会をアジアの将来につなげることは、意味のないことではないと思う。
(1999年5月12日)