サッカーの話をしよう
No.266 自分の町に「クラブ」がある豊かさ
「いいね、自分の町に『クラブ』があるって...」
帰り道、そんな話が出た。
5月の日曜日、鹿島アントラーズのクラブハウスを訪れた。取材ではない。私が監督をしている女子チームの試合が、アントラーズのトレーニンググラウンドで行われたのだ。
グラウンド難の関東女子リーグを、アントラーズが助けてくれた。サテライトリーグの前座として、茨城県代表の筑波大学のホームゲームが組まれ、私たちは「ビジター」として試合に行ったというわけだ。
アントラーズのクラブハウスは、カシマスタジアムから車で10分ほどのところにある。朝9時すぎに駐車場にはいると、ボランティアのおじさんが親切に更衣室まで案内してくれた。
総敷地面積5万6000平方メートル。クラブハウス2階、ファンのためのラウンジに上がると、3面の天然芝グラウンドが一望できる。木立の向こうには、人工芝のグラウンドもあるはずだ。
午前中には、アントラーズのジュニアユースの試合もあるらしい。自転車で少年たちが次々と到着する。私たちの試合が行われるのはクラブハウス正面のグラウンド。ジュニアユースは左奥のグラウンドだ。
私たちの試合の最中から、サテライトリーグの対柏レイソル戦を応援しにきたファンが小さなスタンドを埋めはじめる。試合を終え、着替えを済ませてサテライトリーグを見ようとしたときには、スタンドはすっかり埋まっていた。ようやくのことで、最後列の後ろの通路に立ち見スペースを見つけた。
この日、アントラーズは前日の試合にフル出場したGK曽ヶ端準と、交代出場だったMF本山雅志、FW平瀬智行という3人のオリンピック代表候補を出場させていた。しかしスタンドを埋めたのは、「アイドル」目当てのファンではなかった。
アントラーズの少年チームに在籍する男の子を連れた父親、地元のおじさん、おばさん。
「しっかり声をかけて!」
「ラインを上げて!」
外国なら、こうした声の主は男性のオールドファンと決まっている。しかし驚いたことに、ここではなんと20代と思える女声だ。好プレーにはスタンドがどっと沸くが、黄色い歓声が上がるわけでもなく、みんな楽しそうに試合を見守っている。
そこにあるのは、選手に対する肉親のような温かい感情だった。明日のアントラーズを担うサテライトの選手は、市民全体の息子たちなのだ。好天に恵まれた日曜の午後、息子たちの成長ぶりを確認するのは、鹿嶋市民にとってこの上ない喜びであるに違いない。
振り向くと、スタンドの背後にはレストランを兼ねた売店があり、ソフトクリームやホットドッグなど軽食が売られている。次の水曜に国立競技場で行われるJリーグの試合のチケットを売るデスクも出ている。
白熱したトップチームの試合が壮大な「儀式」のように緊張感にあふれたものであるとしたら、この日アントラーズのクラブハウス・グラウンドで繰り広げられていたのは、「村祭り」のようにほのぼのと、そして浮き浮きと楽しい行事だった。
その大きな要素のひとつがこの施設にあることは間違いがない。アントラーズは、単に練習する場所としてではなく、地域の人々がチームと、そして互いに、交流する場所として、クラブハウスを構想した。そしてその構想に従ったクラブ運営を貫くことで、アントラーズは市民生活に不可欠な存在となった。
「町に『クラブ』がある」とは、こういうことなのだ。きちんと手入れされた夢のような芝生だけでなく、クラブハウスを中心とした生活全体の「豊かさ」に、私たちは羨望の思いを抱きつつ帰途についたのだった。
(1999年5月19日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。