サッカーの話をしよう
No.267 マンチェスター・ユナイテッドの勇気
チャンネルを回していると突然サッカーが飛び出してきた。
4月14日、ナイジェリア北部のカノ。ワールドユース選手権のナイジェリア対アイルランド戦を見るため、それまで10日間近く滞在したバウチから6時間かけて移動した夜だった。
気温40度、クーラーの切れたバスでの旅と、延長、PK戦にまで突入する長い試合の取材で、私は疲れ切っていた。
そこに飛び込んできたのは、あふれんばかりに生き生きとしたイングランド・サッカーの生中継だった。「FAカップ」準決勝再試合、マンチェスター・ユナイテッド対アーセナル。そのスピード感は、酷暑のなかのサッカーを見続けてきた目には、新鮮で、刺激的だった。
1−1で迎えた延長戦、ユナイテッドのギグスが驚くべきゴールを決める。ハーフライン手前で相手のパスをカットしたギグスは、ドリブルで前進し、5人の相手選手を抜き切って、最後は左の角度のないところからGKの肩口を破ったのだ。
そして約1カ月後。先週土曜日、柏でのJリーグの取材から帰った私を待っていたのは、きらめくようなロンドンの5月の大輪、「FAカップ」決勝の生中継だった。イングランド国内カップの決勝戦だが、127年の歴史をもち、現在では全世界に生中継される国際的なイベントでもある。
マンチェスター・ユナイテッドは、その1週間前、イングランド・プレミアリーグでの優勝を飾っていた。追いすがるアーセナルを最終日に突き放した劇的な優勝だった。そしてこの日、ユナイテッドはオランダ人のフリット監督が率いる野心的なニューキャッスルを2−0で下し、「二冠」を達成した。
開始わずか8分でキャプテンのアイルランド代表キーンが負傷退場しながら、交代出場したイングランド代表シェリンガムが先制ゴールを挙げる活躍を見せた。相手に攻め込まれる時間帯が続いても、チームは動じることなく一丸となって戦った。2点目は、そうして15分間守り抜いた後の、最初の攻撃から生まれたものだった。それが相手の闘志を砕いた。心憎いばかりの勝ち方、そしてタフさ。
そしてきょう、5月26日(日本時間明日未明)、ユナイテッドは今シーズン最後の試合、UEFAチャンピオンズリーグ決勝戦を戦う。会場はバルセロナ、相手はドイツの雄バイエルン・ミュンヘンだ。
ユナイテッドは8カ国から十数人の代表選手をかかえているスター軍団だ。年間予算は200億円を超え、ほんの数年ほど前までの「サッカークラブ」のイメージをはるかに超えている。周辺の経済効果も含め、「巨大産業」とまで言う人もいる。
しかし単に収益をあげ、勝ち続けているだけではない。彼らは世界中の人々に夢を与え、喜びを伝えている。そして何よりも、1958年にチームの大半を航空機事故で失ったとき以来、このクラブのプレーと歴史は、人間の強さ、勇気、そして不屈の精神を語りかけているように思えてならない。
FAカップの準決勝では、1−1で迎えた後半のロスタイムにアーセナルにPKを与えてしまった。しかし守護神シュマイケルがこれを見事防ぎ、延長戦のギグスのゴールにつなげた。
チャンピオンズリーグの準決勝、対ユベントス戦では、ホームを1−1で引き分け、アウェーでも前半早々と2点をリードされた。常識的には「絶望的」といっていいスコアだ。しかしここでユナイテッドの選手たちは今季最高のプレーを見せた。前半のうちに同点に追いつき、後半にも1点を加えて逆転勝ちしてしまったのだ。
さて今夜、ユナイテッドはどんな「勇気」を見せてくれるだろうか。
(1999年5月26日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。