サッカーの話をしよう
No.270 パーソナリティーを育てる
私が監督をしている女子チームの練習で、興味深いことを発見した。若いストライカーのプレーだ。
高校生で伸び盛りのその選手は、紅白戦でサブ組にはいると素晴らしいドリブル突破を見せ、レギュラー組のDFをきりきり舞いさせる。しかしレギュラー組にはいると、まったく何もできなくなってしまうのだ。
原因は、その選手の「素直さ」にあった。劣勢のサブ組ではサポートも遅れ気味になるので、とにかく自分でもって出るしかなかった。だから迷わずドリブル突破にかかれた。しかしレギュラー組にはいると、周囲からタイミング良くいろいろな声がかかる。すると、その選手は、素直に従ってしまうのだ。
はっきりしているのは、彼女の問題が、技術や体力ではなく、精神面、あるいは「考え方」にあるということだ。サッカーのコーチたちは、それを「パーソナリティーの問題」と呼ぶ。
「パーソナリティー」という言葉を初めて聞いたのは、オランダ人のウィール・クーバー・コーチからだった。
名コーチとして知られていた彼は、80年代のはじめに心臓を患い、長期の療養生活を余儀なくされた。そしてその間に世界の名手のプレーのVTRを見て彼らのテクニックを分析し、その習得方法を考案した。それは、画期的で、劇的に効果のある練習プログラムだった。
そのプログラムは国際的にも有名になり、オランダだけでなく、イングランドやアメリカなどの少年少女の間に瞬く間に広まった。現在のオランダ代表には、「クーバー式」で育った選手が圧倒的に多い(日本でも現在徐々に広まりつつある)。
しかし、テクニックの習得はクーバーの最終目的ではなかった。テクニックを身につけることによって創造的なプレーができるようになり、最終的には「パーソナリティー」のある選手を育てることが狙いだったのだ。
84年にクーバーが来日したとき、「パーナリティー」とは何か、何回も話を聞いた。彼はていねいに説明してくれるのだが、いまひとつ明確なイメージがつかめなかった。
ところがある日、彼は突然私にこう言った。
「さっきのきみ、あれがパーソナリティーだよ」
ある会合で、社会的に非常に地位の高い人と同席し、私はもっぱら聞き役に回っていた。しかしどうしても訂正しておかなければならないことがあり、話の腰を折って自分の意見を言った。クーバーはそれを指して「パーソナリティーの表れだよ」と言ったのだ。
いいサッカー選手とは、自立した人間であり、明確に自分の考えをもち、あらゆることを自分で判断して、自分の行動に責任をもてる人間のはずだ。そうした強い「パーソナリティー」がなければ、一人前のサッカー選手と呼ばれることはない。
チームは仲良し集団ではいけない。少数のリーダーと「イエスマン」の集まりでは強くなることはできない。11の異なる「パーソナリティー」がひとつの目標に向かってまとまったとき、本当に強いチームができる。
人間は本来、誰でも立派な「パーソナリティー」をもっているはずだ。コーチの仕事とは、それを明確に表現するよう、勇気づけることにほかならない。
「サッカーは少年を大人にし、大人を紳士にする」という言葉がある(女子の場合、「少女を大人に」か)。
4月のワールドユースでは、短期間のうちに選手たちが青年から大人になっていく姿を見ることができた。その変化があったからこそ、準優勝という成績があった。オリンピックを目指すアジア予選が始まった。この予選を通じて、青年から本物のプロに成長する選手をひとりでも多く見たいと思う。
(1999年6月14日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。