サッカーの話をしよう
No.277 17-0の試合からも得るものはある
8月。いよいよヨーロッパの新シーズンが始まる。
ヨーロッパの多くの国では、サッカーのシーズンは8月に開幕し、翌年の5月まで続く。しっかりと休養をとった選手たちは7月に集合し、リーグの開幕まで約1カ月間でシーズンへの準備を整える。
イタリア・セリエAのベネチアに移籍した名波浩選手も、さっそく合宿地のモエナで地元アマチュアクラブとの練習試合に出場し、1ゴールを決めた。
名波ほど両極端の評価を受けてきた選手はいない。「天才」と絶賛する人。「ボールと遊んでいるだけ」と酷評する人。しかし彼の左足から繰り出される多彩なパスは、過去数年間、まちがいなく日本サッカーの誇りであり、日本代表が頼りにしてきたものだった。周囲の雑音に惑わされず、サッカーに集中して力を発揮してほしいと思う。
ところで、名波が「デビュー・ゴール」を決めた練習試合の最終スコアはなんと「17対0」。「こんな相手から得点しても、評価にはつながらない」と思う読者も多いかもしれない。
ベネチアだけではない。どのクラブも、こうした相手と平気で試合をする。
もちろん、シーズン前には、試合相手はだんだん強い相手になっていく。当たりの強さやスピードに慣れるためだ。しかしシーズン中の木曜日などにも、アマチュアクラブとの練習試合をすることは珍しくない。
なぜ明らかに力の劣る相手と練習試合をするのか。本当は強い相手と練習試合を組みたいのに、調整がつかないために仕方なしにするのだろうか。
そうではない。こうした試合は、ある明確な目的の下に、適切な相手として選ばれる。それは、攻撃のリズムを思い起こしたいときだ。
シーズンオフで低下しているのは、肉体の働きだけではない。パスや動きのリズムの感覚も鈍っている。眠っていた感覚を呼び起こすには、実際の試合で動き、パスを交換するのがいちばん。その目的のためには、思いどおりのプレーができる相手のほうが好都合なのだ。
シーズン中にも、こうした相手との練習試合は有効だ。
気の抜けない試合が続くリーグ戦では、ある時期には、勝利のために自分たちのリズムを犠牲にして相手のプレーを断ち切ろうとする試合も多くなる。そうした試合が続くと、肝心なときに攻撃プレーのリズムが合わなくなる。ゴールチャンスの少ない試合が続けば、ゲームのなかでのシュートの感覚も鈍り、肝心なときに力がはいって失敗してしまう。
それを修正し、「自分たちのリズム」を思い出させるために、また、シュートの感覚を取り戻させるために、あえて力の劣る相手との練習試合を組むのだ。
ただしこうした相手との試合を意味のあるものにするには、ひとつの条件がある。真剣にプレーすることだ。
ともすれば、こうした相手との試合はだらだらとし、プレーにシビアさがなくなってしまう。ボールを持ちすぎ、パスのタイミングを逃し、シュートを失敗しては笑ってごまかすなど、甘さが出てしまう。
しかしイタリアのプロを見ていると、どんな試合でも自分たちのいちばんいいリズムを出そうと努力する。たとえ10点差がついた後でも、個人プレーに走る選手などいない。全員がチームのためにプレーする。そこにこそ、「本物のプロ」のあり方が示されている。
「試合は最良の教師」という。練習はもちろん大事だし、有用だが、本当にサッカーを学べるのは、サッカーを通じてしかない。そして、どんなに力の差のある相手との試合でも、自らの心がけ次第で、いくらでも得るもの、学ぶものは存在するのだ。
(1999年8月4日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。