サッカーの話をしよう
No.279 試合後に見られる「スポーツ文化」成熟度
夏休み。青少年のスポーツの季節でもある。まとまった休みの期間を利用して、各種の大会が開催される。
そのどこにでも見られるのが、勝って狂喜し、負けて号泣する若い選手たちの姿だ。そしてその姿こそ、青少年スポーツの純粋さの証明であるかのように思われている。
本当にそうだろうか。ふたつのワールドカップ決勝戦から、エピソードを紹介したい。
1950年ブラジル大会。決勝リーグ最終日に無敗同士のブラジルとウルグアイが対決した。ブラジルは引き分ければ優勝という有利な立場にいた。リオデジャネイロに完成したばかりのマラカナン・スタジアムは20万を超す観客をのみ込み、その誰もがブラジルの世界初制覇を信じて疑わなかった。
後半、ブラジルが先制。しかしウルグアイは驚異的な粘りで2点を挙げ、逆転に成功する。終了の笛が吹かれると、信じられない結果に、スタンドは静まり返り、ブラジル選手たちはグラウンドに突っ伏した。
そのとき、ひとりのウルグアイ選手がブラジル選手に歩み寄り、その肩を抱いた。FWのミゲスだった。彼はブラジルFWジジンニョの肩を抱いたまま、彼の気持ちが落ち着くまで、センターサークルの中で数分間立ちつくしていた。
ウルグアイの全選手が、一瞬の狂喜の後、すぐに節度ある態度をとった。それは、ブラジル選手だけでなく、悲嘆に暮れるブラジル国民の心情を察したからだった。このときの態度で、ウルグアイ・チームはブラジル国民から大きな敬意をもたれ、両チームの選手たちの間には、長い友情が生まれたという。
74年西ドイツ大会決勝戦では、不利の予想を覆して、地元西ドイツがオランダに2−1で逆転勝ちした。
「21世紀のサッカー」とまで言われ、圧倒的な強さで勝ち進んできたオランダ。そのリーダーであるヨハン・クライフは、「一生にいちど」と決めていたワールドカップ獲得のチャンスを逃したのだ。
しかし彼はその結果を堂々と受け入れた。チームメートを引き連れてロイヤルボックスへの階段の下に立ち、ワールドカップを受け取りに上っていく西ドイツチームの一人ひとりに言葉をかけ、握手で祝福したのだ。
クライフの天才は、世界の誰もが認めていた。しかし選手生活最大の野望が断たれたときのこの堂々とした態度は、彼が超一流のスポーツマンであることも証明していた。
勝って狂喜し、負けて号泣するのは、純粋なのだろうか。それなら、ミゲスやクライフの態度は、何だったのだろうか。
人間の行動の大半は、その人が属する文化の産物といえる。日本の青少年が狂喜したり号泣するのは、純粋だからではなく、周囲の大人たちにそれを美化する文化があるからだ。そしてそれは、「スポーツ文化」と呼ぶにはあまりに幼稚で未成熟だ。
どんなに大事な試合でも、たとえそれが全国大会の決勝戦、あるいはワールドカップの決勝戦であっても、勝敗はスポーツの範囲内のものでしかない。勝利は人間としての価値を高めてくれるわけではないし、敗戦は人生の終わりではない。
ミゲスやクライフの行動の背景には、こうした成熟したスポーツ文化をもつ社会がある。
私は夢見る。
勝負が決した後のテレビ中継。大きく映し出されるのは、抱き合う勝者やうずくまる敗者ではない。どちらが勝ったのかわからないほど平静に健闘をたたえ合う選手たち。彼らの姿を伝えながら、中継が終わる--。
大人たちがそうした成熟した文化に達したとき、そこにはもう、狂喜したり、号泣する青少年の姿はないだろう。
(1999年8月18日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。