サッカーの話をしよう
No.284 戦術にまさるチームの和
高校時代の友人が、中央アジアの辺境で大変な試練にあっている。最終的には彼らしく元気いっぱいに帰国してくれると信じているが、毎日のニュースが気がかりでならない。
彼のことを考えながら思い出したのが、高校時代の「クラス対抗」のサッカーだ。
私たちの学校では、期末試験が終わると、先生たちが懸命に採点作業をしている間、生徒たちは数日間をスポーツ大会で過ごすのが伝統だった。クラス対抗で各種のスポーツをするのだが、日ごろ、はたで見ているだけの競技に参加するのか楽しかった。しかしやはり、私の最大の関心はサッカーだった。
クラスによってサッカー部員数に偏りがある。高校2年のとき、私たちのクラスにはGK、DFと、FWだった私の3人しか部員がいなかった。相手は8人も部員がいるクラスだ。
3人だけで試合をすることはできない。幸い、クラスにはサッカー好きのバスケット部員、テニス部員、バドミントン部員などがいた。このメンバーでどうしたら勝てるか。私は試験中からそればかり考えていた。
最終的に、GKのサッカー部員をFWにし、DFの選手がスイーパーにはいり、私がDFラインの前でつぶし役となることにした。徹底的に守備を厚くする作戦は見事に功を奏し、私たちは1−0で勝った。
数年後、60年代のイタリアで一世を風靡した「カテナチオ」と呼ばれる守備偏重のシステムを日本に初めて紹介する記事を雑誌で読んだ。それは、私たちがクラス対抗で採用した考え方とまったく同じだった。
私たちはまた、「素人」選手たちを「押せ」という言葉で動かした。手で押せということではない。自分の近くの相手にボールが来たら、待たずにできるだけ早く間合いを詰めろという指示であり、相手に楽にパスをさせないことが目的だった。個人技に長じたサッカー部員は、相手が突っ込んでくればドリブルで抜いて出る。抜かれたところを私が狙うのだ。
この考え方も、10年以上後になって、「プレッシャー」や「プレス」という「新しい」戦術的アイデアとして紹介された。
けっして自慢しているわけではない(自分自身では割に自慢に思ってはいるが)。「クラス対抗」という「遊び」の世界で、私たちは自由に発想し、ゲームプランを練った。そして、いろいろな角度からサッカーを考えることを学んだのだ。
日本サッカーの前進は、選手の環境を改善するための戦いだった。施設を改善し、コーチの能力を高め、選手たちが何にもわずらわされることなくサッカーに取り組めるようにする。
しかしその結果、少年や若い選手たちは、与えられるものを消化するだけの毎日になってはいないだろうか。最高の環境で、すべてが整えられているとき、人間は主体的な取り組みの姿勢を失い、自分自身で考えることをやめてしまう。
最高の環境を用意するだけでは不十分だ。若い選手たちが主体的に考えて取り組むための「刺激」も必要と思うのだ。
「クラス対抗」の試合で私が最も学んだのは、「力を合わせる」ことの大切さだった。11人がひとつの「チーム」になって戦うこと、互いに声をかけ合い、助け合い、味方を信じて戦うことは、あらゆる戦術に優る。
あの高2のクラス対抗で決勝点が決まったとき、私はサッカーの本物の喜びを知った気がした。そのゴールを決めたのが、サッカー好きのテニス部員だった。いま、中央アジアで苦難にあっている友人だった。
いよいよオリンピックのアジア最終予選開幕が近づいた。日本の若い選手たちが、心もプレーも一丸となって戦い抜くことを期待したい。
(1999年9月29日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。